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廊下を走る音に気付いて視線をあげる。
授業中に走って来るのは急患の知らせ。
内線で呼び出しが来ないところをみると教員ではなく生徒が走っているのだろう。
徐々にこの部屋に近付いて来る足音の持ち主は、フルダッシュに近い速度を緩める気配がない。
その勢いのままドアを開け放たれたらどうなるか……。
静謐を守るためにドアまで赴き、こちらから開けるとその意図を水泡に帰す勢いで大柄な男子生徒が走り込んで来るところだった。
「うお!? ……おおー。あ、せんせー、ちょっとコイツ診てやってくれよ!」
静かに開いたドアに驚きの声をあげたのは怪我での来室が多く、更に少しの傷なら舐めて治す、ここに来るのは湿布や絆創膏の替えが欲しい時のみという工業コースの生徒だ。
「お前はまず静かにノックをすることを覚えろ。ここは保健室だ。寝てる患者がいる」
窘めながら彼の突き出したカッターシャツの中身に視線をやると、そこには濡れて震える仔猫の姿。
彼自身はその仔猫にカッターシャツを与えたためだろう、Tシャツにスラックスという恰好だ。
「ごめん、焦ってて。起こしちまったかな?」
今更ではあるのだが広い肩をすぼめて素直に謝るところに追い討ちをかける気はなく、軽く手招いてデスク脇の椅子に座らせる。
カーテン越しのベッドからの反応は特になく、あの静かな生徒ならたとえ起こされても文句を言わずに安静にするだろうと、まずはシャツの中で震える仔猫をデスクに置く。
鳴き声もあげずに震える様は痛々しく、濡れた毛並みに泥の汚れがついている。
「大丈夫かなコイツ?」
大柄な生徒が小さな仔猫を心配する様は微笑ましく、そっとシャツを開いて触診をする。
骨折や捻挫、打撲や傷はないかと触ってみるも、特に怪我は無いようだ。
聴診器を取り出して当てると少々浅いが気管支からの異音もない。
「怪我はなさそうだ。ところでお前の怪我が気になるんだが?」
まずは安心させてやらねばと仔猫を先に診たが、男子生徒のTシャツやスラックスは泥に汚れ、右腕には何かで引っ掛けたような傷が無数にある。
「ああ……。校舎の裏に新歓で使ったベニヤ積んでる山あるだろ? あそこの下から声がしたんだよ。普段ならともかく、今日すげえ雨じゃん。んで、何か気になって回ってみたら、随分ちっこい猫の声がしてさ。もし雨で滑ってベニヤが崩れたらやべえと思って連れてきた」
「つまりお前のその傷はベニヤで散々引っ掻いたと」
「せんせー、俺の腕の太さ見れば解るだろ? こんなちっこい猫が入る隙間に俺の腕入れたら……なあ?」
その無造作で向こう見ずな純粋さに苦笑して、まずは泥を洗い落とせとシンクを指差す。
「おう。なあせんせー、コイツ何か食わせてやったほうがいいよな? 牛乳でいいのか?」
仔猫が気になってか、水がしみるはずの酷い引っ搔き傷も構わずゴシゴシ洗う生徒に、これは仔猫をどうにかせねば落ち着かないと判断する。
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