第三章 三人目のパパ活JK

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梅雨が来る前の初夏の土曜日、街は浮かれていた。すれ違う人は半袖と長袖がちょうど半々くらい。 重いコートを脱ぎ捨てた服は赤にピンクに青、どれもカラフルで人目を惹く。 さすが新宿、日本語とは違う言葉を思うがままに操る外国人観光客たちも多い。 「この後、予定は?」  伊勢丹を見て回った後、ルノワールでお茶する「今日のパパ」は薄く笑いながら、でも固い口調でそう言った。 年頃、たぶん五十をちょっと過ぎたところ。わたしなんて、娘ぐらいの年齢のはずだ。 「特にありません。まぁ、友だちと遊ぶかもしれないけれど」 「そっかぁ。もし暇だったら、ホテル、付き合ってほしいんだけれど」 「え」  アイスカフェオレを思わず鼻から噴き出しそうになっていた。要求があまりにストレート過ぎる。 「もし、いつきちゃんが嫌だったら無理にとは言わないよ。でも僕は、お小遣いはずむよ。五は出すね」 「五、ですか」  まさか五千円のことではあるまい。五万円なんて、大金だ。  正直なところ、頭の中で天秤に抱えていた。今どき初体験で五万ならそう安くはない、でもこんなところでこんな人にバージンを捧げたくない。お笑いの鉄板ネタのように、わたしの頭の中で天使と悪魔が交互に囁く。  いいじゃん、やっちゃえ。どうせいつかやるんだし。  駄目よ、そんなことしちゃ。初体験は好きな人がいいでしょう?  結論を出せないまま水滴のたっぷりついたグラスを握っていると、「パパ」が言った。 「迷ってるんだね、いつきちゃん」 「そりゃ迷いますよ、こんなこと初めてで」 「だったら、しないほうがいい」  優しい「パパ」はわたしに決めさせず、自分で決めてくれた。迷うくらいなら、やらないほうがいいのだと。  ウインドウショッピングとお茶に付き合っただけで一万円をもらい、アルタの前で沙智子に電話をする。性的な関係を要求されたと素直に話すと、沙智子は事もなげに言い放った。 「そんなのよくあることじゃん。いちいち動揺してどうすんのよ」 「でも。わたしの場合は、初めてだったし」 「たまたま澪は今まで会った人がそういう人じゃなかっただけ。運が良いんだよ。実際は最後までしないから三万とか最後までするから五万とか、そういうのばっかだよ」 「そんなもんなんだ……」  行きかう人たちはわたしたちがどんな話をしているかなんて想像もしない。 サラリーマン風の背広姿の人も、いかにも新宿らしい奇抜な服を着た人も、楽しそうな中国人観光客も、みんなそれぞれの目的地に向かってせっせと足を動かしている。 「澪もいい加減にさ、腹、くくりなよ。パパ活やってる時の自分は、自分じゃない。そのために名前だって変えたじゃん?」 「そうだけど……」 「これぐらいでいちいち悩んでたら、これからやってけないよ」  底辺高校に通っている割に実は頭のいい沙智子は、わたしの言いたいことをちゃんとわかっていた。  シスターに言われたこと。自分で考えていること。  わたしがやっていることは、正しいことなんだろうか。  今のところはお茶や食事やショッピングだけで五千円や一万円のお小遣いで満足しているけれど、だんだん感覚が麻痺していっちゃって、沙智子みたいに一枚三千円でパンツを売ったり、もっとすごいことだってしちゃうかもしれない。  それはもはやパパ活ではなく、エンコーだ。  沙智子との通話を終えスマホをバッグに仕舞い、昼間に「太パパ」から四万もらったという沙智子と一緒にこれから合流して遊ぶため、新宿の西口に向かう。 新宿という街は、どうしてこうも作りが複雑で東から西に行くだけでも大移動なのか。人が異常に多いというだけで、普段学校に行き来する時の倍ぐらい疲れてしまう。ガードをくぐったところで、肩を叩かれた。一瞬、ナンパかも、と思った。  でも振り向くとそこには、茶色いセミロングの女の子がいた。 「あの、これ、落としましたけど」  差し出したのは、この前「パパ」に買ってもらった五千円のバッグチャーム。リボンとパールがきらきらしていて、シンプルなかごバッグがこれひとつで様変わりする優れものだ。 結構気に入っていて、なくしたらかなり凹むだろうなと思っていたから、めちゃくちゃありがたい。 「ありがとう。これ、どうして取れちゃったんだろ」 「金具が弱いんじゃないですか」  きれいな敬語を使う女の子は、どう見てもわたしと同い年か、少し下ぐらい。童顔を化粧で精いっぱい誤魔化しているけれど、どうしたって十八より上には見えない。  どこかで見たことがある、この顔。  頭の中でぱちん、と点と点が繋がった。 「あなた、この前サイゼにいなかった? 歌舞伎町、ミスドのすぐ近く」  は、と女の子の顔が固まった。明らかに警戒してしいる。  以前のわたしなら、ここで臆していただろう。  でも「パパ活」を始め、非合法な手段でも自分でお金を稼ぐことを覚え、メイクも髪の巻き方もファッションも覚えたわたしは、しゃべり続けるだけの勇気を手にしていた。 「やっぱり、そうだ。この前、友だちと一緒にあなたのこと見たの」 「そうですか……」  女の子はすっかり警戒して、グレーのTシャツに包まれた肩を細かく揺らしている。お金を受け取っているところを見られたと、脅しなのかと、警戒しているんだろう。 「大丈夫だよ。わたし、あなたの仲間だから」  女の子が奥二重のあまり大きくない目を見開いた。 「あなたがやってること絶対否定しないし、脅したりもしない。ただ、ちょっと、話してみたいだけ。嫌?」 「見てたの?」  女の子が小声で言った。 「見てたよ。三万はもらってた。すごいね、太パパだよ」 「……そっか」  ようやく警戒を緩めてくれたらしく、舌ったらずな幼い声がやわらかくなった。 「わたしね、この後友だちとお茶するの。その子も、わたしと同じことやってる。よかったら、わたしと一緒に来ない?」 「行ってみたいかも。わたし、パパ活仲間、ひとりもいないし」  それから西口のファッションビルの喫茶店に入るまでの間に、女の子は内藤和菜と名乗った。わたしたちと同じ、高校二年生だった。 「いいなー和菜なんて、めっちゃ可愛い名前! あたしなんて沙智子だよ。幸せの幸子じゃなくて、さんずいの沙智子だってところがちょっと凝ってるからまだましだけどさ」  喫茶店に入ると沙智子はいちばん高いケーキをオーダーし、紅茶が来るまで出された水をごくごく飲みながらそんなことを言った。どうやら、心から自分の昭和チックな名前がコンプレックスらしい。 「和菜は、おっさんウケいいはずだよねー。いいなぁその童顔。さりげない巨乳。あたしなんてこの通り、スレてるからさぁ。なかなか太パパが捕まんないのよー」 「そうでもないよ。どれだけ頑張って化粧しても幼く見られちゃうから、会った途端に君JK? てビビられちゃって。五千円だけもらってそのまま帰されたことある」 「何もしないで五千円もらえるなんてマジうらやまー!」  和菜がぎこちない微笑みを薄い唇に浮かべた。目も唇も鼻も小さく、美人にはほど遠い丸顔。でもたしかに和菜が言うとおり、「おっさんウケがいい」というのはわたしにもわかる。 美人でないからこそ、幼いからこそ、とにかく若くて娘みたいでスレてもいなく、かつお嬢様タイプでもない普通の子を欲する「パパ」たちにとっては需要が高い。 「うちね、生活保護受けてるんだ」  和菜の前にモンブラン、沙智子の前にチョコレートケーキ、わたしの前にいちごショートが運ばれてきた頃、和菜がぽつんと言った。 「お父さんがわたしが小さい頃離婚して、でもうち、弟がふたり、妹がひとりもいるのね。お母さんはうつ病があってバリバリ働くのも難しいから、仕方なく生活保護」 「えー、大変―」  どれだけその大変さをわかっているのか、と突っ込みたくなるような間延びした言い方の沙智子に、和菜はちっとも腹を立てなかった。 「だからね、まるで贅沢できないの。洋服もアクセサリーも買えないし、友だちと一緒に放課後タピオカジュースを飲んだり、ゲーセンでプリクラを撮ったりもできない。 お小遣い、たった二千円しかないんだもん。うちは生活保護だから、高校生がバイトしたらそれなりの金額を持ってかれちゃうんだよね。だから、こういう方法でお金を稼ぐのが一番いいんだ」 「和菜、頭いいんだね」  沙智子も和菜も、それなりにちゃんと考えている。「友だちに彼氏ができたから」「普通の女の子じゃなく、特別な女の子になりたかったから」という、わたしのふわっとしたパパ活の動機が情けなく思えてきた。  パパ活はいけないとお説教をしたシスターに問いたい。和菜みたいな子ですら、パパ活をしてはいけないのかと。 女子高生が友だち付き合いをしたり、本や漫画を買ったり、千円のランチを食べたりしたいのは普通のことで、そんなささやかな贅沢を叶えるため、自分の時間をほんの少し「パパ」たちに与えるのは、それほど悪いことなんだろうか。 「あたし、和菜のこと応援するわ」  レモンバーベナティーを啜りながら沙智子が言った。 「家が貧乏、だからパパ活、自分で自分のお金稼ぐ、それってめっちゃ恰好いいじゃん。ただお金欲しいだけのあたしとは決定的に違うよ。和菜は親にも誰にも迷惑かけないために、パパ活してるわけなんだから」 「そうなるのかなぁ」  褒められるのが照れ臭いのか、正直に頷けない理屈なのか、和菜の微笑みは複雑そうだ。 「バレたら、大変だよ。お母さんも弟も妹も泣いちゃう。わたしがしてることって絶対おかしいな、って時々思う」 「そんなこと考えてたら病んじゃうよ」  あっけらかんと沙智子は言う。パパ活に露ほどの罪悪感も持っていない沙智子は、時にずばりと核心をつく。 「よし、今日は和菜も加わった祝い。この後三人で飲みに行くよー!」 「飲みにって。お酒?」  びっくりしながら言うと、沙智子は小さく目配せをした。 「この近くにね、年確のユルい店があるの。ちっちゃなバーなんだけどさ。ふたりとか三人で来ても、ひとりが身分証見せれば全員お酒出してくれるんだ」 「身分証なんてないじゃん」 「お姉ちゃんのパクってきたから平気!」  得意そうに笑う沙智子は、どこまでも悪知恵が働く。
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