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「あの、わたし――」
立ち止まって言いかけた途端、右腕にのしっと重みを感じた。見れば知らない女の子がわたしの腕に腕をからませている。
ブレザーにミニスカートの制服姿。顔にはうちの高校では絶対許されないばっちりメイク。
「うわー! マジこんなとこで会えるなんて、超奇遇じゃん! なっつかしー!」
甲高い声で女の子はいきなりそんなことを言う。懐かしい? 意味がわからない。わたし、こんな子絶対知らない。
「オナチューだから、卒業以来だよねぇ。元気にしてたぁ?」
オナチューなわけがない。わたしの学校、中高一貫性なんだから。高校からの生徒は若干名しか受け入れない。
「えと……友だち、で、いいのかな?」
男が戸惑った声を出す。心底このおかしな少女の登場に動揺しているらしい。
「ハイ、わたし、この子の中学時代からの友だちで。あ、ごめんなさい、もしかしてデートでした? お邪魔しちゃいました?」
「いや、別にデートってわけじゃないから」
男はついうっかり、本当のことを言ってしまった。してやったり、という顔を女の子はする。
「そうなんですかー。デートじゃないのに女子高生をこんなところに連れ込むなんて、お兄さんもなかなか、悪い人なんですね」
通りを歩いている人たちに聞こえるようなわざとらしい大声。それでようやくわかった。この子はわたしのことを助けてくれてるんだ。
捨て鉢になって、エンコーしようとして、いざとなったらやっぱり戸惑って足がすくんだわたしに、手を差し伸べてくれてるんだ。
「もう遅いんだから、早く帰らないと補導されちゃうよー? ほら、一緒に帰ろ?」
女の子に言われて頷き、差し出された手を握ってふたりで歩き出す。男のほうは一度も振り返らなかった。
ラブホ街を出るまで、見慣れた繁華街の街並みが戻ってくるまで、ふたりともひと言も口を聞かなかった。
「その制服、聖マリア女学院だよね?」
やっと女の子が言ったのは、そのちょっと尖った声。中学受験を目指す小学生たちから可愛いと評判のうちの高校の制服は有名だ。
「そうだけど……」
「あーマジ衝撃的だった! 聖マリアの人がエンコーするなんて。見つかったのがあたしでよかったよ。警察だったらどうする気?」
改めて目の前の女の子をしげしげと観察する。やや離れ気味の目は減点対象だけど、全体的には整った、きれいな顔だ。肩の上でぴんぴん跳ねさせたショートカットがよく似合っている。
「そんなこと、考えもしなかった」
「だろうねー」
女の子はぱっとわたしの手を振りほどいて言った。
「ね、これから少し、お茶してかない?」
「え。でも、こんな時間に歩いてたらほんとに補導されちゃう……」
「いざとなったら塾帰りって言っときゃいいの塾帰りって! それにあたし、ほら、要件はささっと言うタイプだから。ほんの十五分ぐらいでいいよ」
強く誘われて断れず、ふたりで適当なファストフードに入り、コーヒーをふたつ注文した。寒い春の夜に冷え切った身体にコーヒーの苦く熱い液体がひたひたと落ちていく。
「名前、なんて言うの? あたしは梅村沙智子」
「わたしは佐久間澪」
「澪か、可愛いじゃん。沙智子なんて最悪だよねー。昭和の名前だっつーの。ちなみに上のお姉ちゃんは真智子。その次がは美智子。あたしが沙智子。親、安易過ぎ!」
「うちの妹も真緒だよ。澪の次に真緒」
些細な共通項が嬉しくて、笑い合う。この子は悪い子じゃない。直感が言ってた。なんせ、わたしを助けてくれたんだ。
「ねぇ。どうしてわたしに声、かけたの?」
「だって、顔があまりにも青白くて不安そうだったから。どうせあの男に上手いこと言いくるめられて、ラブホ行くハメになっちゃったんでしょ? そんなつもりもないのにそんなことになっちゃったら、可哀相だなって」
「ありがとう」
「いいよーお礼なんて。むしろ、お節介なことしちゃったかなって気になってた」
お節介なんかじゃない。たとえお節介だとしても、必要なお節介も時にはある。
「なんて、あの男に言われたの?」
「最後までしないから、ホテル行こうって」
「そんなん絶対最後までするに決まってるじゃん! 何? 行きずり?」
「塾の帰りに声かけられた。ナンパ?」
「まぁ運が良ければお金もらえるけれど、あれじゃあせいぜいホ別一万ってとこだね。ダメだよ、男に買いたたかれちゃ」
「沙智子はエンコー、してるの?」
ちょっと勇気を出してその問いかけを口にした。沙智子はわたしが周囲を慮って声を潜めたにも関わらず、どんと胸を叩いて言う。
「エンコーなんてしないよ、今どきダサい。今はね、パパ活っていうの。パパ活。わかる?」
「何それ?」
「最後までしないで、食事や買い物だけでお小遣いをもらうの。あたしは今はそれで稼いでる。よかったらさ、仲間になんない?」
にやり、と沙智子は歪んだ顔で笑った。
エンコーをすれば、特別な女の子になれると思ってた。でも沙智子は、エンコーはダサいと言った。
目の前のこの自信に満ち溢れたような女の子がやっているパパ活。わたしもパパ活をすれば、特別な女の子になれるのかもしれない。
とっくに十五分は過ぎていたけど、頷いた。
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