第二章 いつき

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休日は「いつき」として清楚系女子大生の恰好をして出かけてSNSを更新し、平日は「佐久間澪」として学校に通う。そんな日々がしばらく続いた。  学校では静音や千絵子たちを今まで以上によく観察した。スカートは短くしない。ソックスもバッグも指定。化粧なんて論外。 そんな学校の中でも静音や千絵子はシスターの目を誤魔化すほどの巧妙さでお洒落を楽しんでいることを、じきに学んだ。 バレない程度に唇を明るく魅せてくれる色付きのリップ。こっそり詰めたスカートの丈。髪を彩る控えめなヘアアクセサリ。ピンクの可愛い爪磨き。  それらに無関心なふうを装って、芳乃たちと変わらず一緒にいて、変わらず赤川先生やひーくんの話に相槌を打ち、変わらず佐久間澪を演じ続けた。本当は静音たちのところに行って、聞いてみたかった。 お肌のケアってどうしてるの? アイライナーを上手に引くこつは何? リップはどのメーカーがおすすめ?  五月も半ばを過ぎた頃、少し不安になってきた。最初に感じた疑問が、現実になりそうな気がしていたから。これだけお金を使って、全然稼げなかったらどうしよう。 「焦らないで毎日こつこつSNS更新して、パパさん欲しい子応援します系のアカウント地道にフォローしてたら、いつかDM来るって。そんなにナーバスにならなくても大丈夫だよ」  今日は夜から二件「パパ」との予定が入っているという沙智子と土曜日、ランチビュッフェに入る。和食洋食イタリアンなんでもごされのランチビュッフェは休日千九百円。 決して安い金額じゃないのにまたお金を使ってしまったことで、不安になっていた。お年玉を使い切ったら、月一万円のお小遣いしかない。 「ねぇ、わたしの写真とか投稿とか、地味なのかな? 文学部の設定だからって自分のオススメ本上げたのがまずかった?」 「いやそれはまずくはないよ、必要な演出だし。とにかく毎日地道にコツコツやってたら、いつかは反応あるから。いつかは」 「いつかっていつ?」 「もうすぐだよ」 「今じゃなきゃ、やだ」 「やだ、って澪」  沙智子がカルボナーラをフォークに巻き付けながら、苦笑いして言う。 「相手がいることなんだから、しょうがないでしょ。思い通りになる時もならない時もあるよ」 「でも、すごいお金かかってるのに……」 「ほら、不安になってる暇あったら、今SNS更新しなよ。ちゃんと写メ撮って上げられるように、ビュッフェだってきれいに盛り付けたじゃん?」  不安を覆い隠すようにビュッフェのお皿と自分が映った写真をSNSに上げた。一刻も早く、DMが欲しかった。会いたい、というパパからの連絡が欲しかった。自分が特別な女の子だと信じてさせてくれるものが欲しかった。 「沙智子はなんでパパ活、してるの?」  ずっと聞きたかったことを聞いた。 「中学の時にさ、JCお散歩やってたんだ」  にやりと唇を歪めながら沙智子が言った。 「何、それ」 「違法のデートクラブみたいなもの。店があって、所属してるのはみんなJCなのね。九十分二万円で、女の子とデートができるの。うちらの取り分は半分。だから一本一万」 「お散歩って、どこにお散歩するの?」 「そりゃ、ラブホに決まってるでしょ」  ケラケラ笑いながら言う沙智子の前で、思わず口をぱくぱくさせてしまった。 そんなことをしてお金を稼いでいる同い年ぐらいの女の子がたくさんいることは知っていたけれど、それがいきなり目の前のこととなると動揺してしまう。 「でも、クラブが摘発されちゃって、あたしは補導。鑑別所送られたよ。あやうく少年院行かされるところだったんだよね。まじサイテー」 「少年院、行ったの?」 「行ってないよ。保護観察処分。でもウザくてムカつくおっさんの保護司のところに週イチで通わなくちゃいけなくてさ、サイテーな日々だったよ。怒り狂った親にもすごい厳しくされるしさ」 「そりゃ、厳しくするでしょ」 「だからって高校生になっても月五千円しかお小遣いもらえないんだよ? そんなんじゃ、何も買えねーっつーの」  吐き捨てるように言う沙智子は、身体を売ったことも、それで警察に補導されても、鑑別所に入っても、危うく少年院に送られるところまでいっても、まったく反省していないのだと思った。 「店通してやってたら摘発される恐れがあるから、十八までは個人で稼ごうかなって。それで、パパ活」 「なんとなく、わかった。沙智子はお金が欲しいんだね」 「そりゃ欲しいでしょ。みんな、お金が欲しくてパパ活してるんだよ」 「本当に、それだけ?」  うーん、と沙智子はちょっと考える顔をした。 「あたし、将来の夢は歌手って設定なんだよね。実際、小学校までは本当にアイドルになりたかったし」 「へー意外」 「でもそんなの、絶対無理じゃん? あたし、アイドルになれるほど可愛くないし。せめてパパ活してる時だけでも、芸能界志望の女の子になれたらいいなってさ。まぁ、後付けだけど、こんなの」  沙智子は薄く笑いながらカプチーノを啜った。  沙智子もまたわたしと同じ、普通じゃない、特別に憧れる女の子のひとりなんだろう。自分では気づいていないかもしれないけれど。  ぶるん、とスマホが震えてアプリの通知をする。SNSだった。初めてのDMに、胸がかあっと熱くなる。 『いきなりのDMで失礼します。いつきちゃんはパパ、探してるのかな? よければ会えませんか。こちらは四十路過ぎのおっさんだけど、見た目はそんなに悪くないと思います』 「沙智子! すごい、こんなの来ちゃった!」  興奮気味に画面を差し出すと、沙智子はおー、と感嘆の声を漏らした。 「ね、毎日更新してればそのうち反応あるって言ったでしょ?」 「本当だ! ありがとう」 「日々の努力の甲斐あったね」 「ねぇ、これからどうすればいい?」 「どうすればって、すぐ返信しないと。相手の気が変わらないうちに、会う約束を取り付けちゃえばいいんだよ」  スマホを操り、すぐに返信を打った。 『メッセージありがとうございます。わたしもぜひお会いしたいです。いつが都合いいですか?』 『さっそくの返信ありがとう。今夜空いていますか?』 『大丈夫です。何時頃ですか?』 『十八時に新宿でどうですか』  たった数通のやり取りで、見知らぬ相手と会う予定が決まってしまう。ネットで知り合った人とリアルで会うなんて、初めての経験だ。どうしても緊張してしまう。 「がんばれー、澪。初仕事なんだから」 「仕事か。そうか、お金もらうんだもんね。仕事と同じだよね。うわー緊張しちゃう」 「大丈夫だよ、いつもの澪でいれば。今の澪、どう見ても文学好きの清楚系女子大生だもん」  沙智子はこれ食べて気合入れな、と自分の分のミニチョコレートケーキを半分わたしのお皿に取り分けてくれた。
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