赤ちゃん貸します

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 ”赤ちゃん貸します!”  紗栄子は休日の黄昏時に巡回サイトを周っていると誤って怪しげな文で書かれた広告をクリックしてしまった。  しまったと声が思わずでてしまい、すぐに新たに表示された画面を消そうとバツ印を押そうとしたが、手をとめた。  赤ちゃん貸します。  白い背景に筆ぐらいある文字でそうかかれており、あまりのインパクトに数秒ほど思考が停止した。  倫理的に大問題な広告に再起動をした脳は好感触を示し、消すどころかスクロールバーを下げて内容を目でおっていく。  一回5000円からスタートで1時間毎に追加料金。  初めての方でも大丈夫、赤ちゃんのお母さんも同伴するので安心してご利用できます。  なるほど。昨今のあらゆるニーズに対していよいよ煮詰まったコンテンツがでてきたなと紗栄子は斜め上のサービス業に思わず舌をまいた。  そして、右矢印をクリックすると実際の赤ちゃんなのだろうかプライバシーの関係でかなり濃い目のモザイク写真が掲載されており、人の面影がわからないほど徹底的に保護されている。  顔写真の下には利用者の声が書かれており、否定的な文面は一度もない。  意外にも男性の利用者が稀に現れ、なぜだか限って女性客よりも長文で綴られている。  気づけば30分が経とうとしていた。  最後のページまで読んでしまい、自らも利用したいと考えるまでに至る。  詐欺の香りで満ち足りているサイトだが、騙されたと思いながらも利用できる店舗を探すと、幸いにも隣町の貸しビル4階でやっているという情報が載せてあり、次の休日にあわせて訪れることを決めた。  紗栄子は電車に揺られながら携帯で赤ちゃんレンタルサイトを何度も見ながら余念なく復習を繰り返す。  必要なものは向こうが用意してくれるそうで、おしゃぶりやガラガラ、哺乳瓶などもあるという。より本格的に楽しみたい方は実際にも母乳を与えることもできるというが、紗栄子にそこまでの度胸はなかった。  泣かしてしまったりしたらどうしようと考えるも、母親も同伴しますと書いてあったことを思い出す。何かあればすぐに頼れるのもサービスの良いところだ。  実は紗栄子は赤ちゃん好きではあるが、意中の相手が今まで存在したことがない。歳も35となり、実家の母親からはついに子供の事どころか結婚の話さえ言われなくなった。荷が降りたと言えばそうだが、街中でベビーカーで寝ていると赤ちゃんなどを見ると、勝手に笑みが漏れる。  自分には縁のない話だと考えていたが、まさかこの様な巡り合わせに出会えるとはと、あの日間違えて押してしまった広告に胸の中で感謝をした。  やがて電車が駅に着き、改札を出てすぐに目的の貸ビルへと向かう。  隣街といっても同じ市内にある駅なので、何度か遊びに来たことがあるため紗栄子には貸ビルの場所がどこにあるのか分かっていた。  それでも久方ぶりの隣街の風景は少しばかり変化していた。  ビルの隙間に出来ていた個人商店は姿を消し、スーツ姿の会社員が目立つ。  親子連れも気のせいか少なく、時代の流れを感じる。  知り合いがやっている店舗を今日は尋ねず、通り過ぎた先の丁字に貸ビルはあった。案内板を眺めると、たしかに4階に”赤ちゃんレンタル”と書かれている。  紗栄子はここにきて急に緊張しはじめていた。  もし知り合いにでも見られたらどうしようかと一目を気にし始める。  エレベーターの上昇ボタンを押し、ビルの出入り口を警戒をしていると、到着音がして扉がひらいた。  消えるように入り、震える指で4階を押した。  使い古されたエレベーターがゆっくりと上昇を始める。  ヤニの臭いがするエレベーターで紗栄子の職場に近い臭いがした。  4階です。  アナウンスが流れゆっくりと扉がひらいた。  くもりガラスの入り口が目の前に現れ、上部に可愛らしい文字で”赤ちゃんレンタル”と書かれている。  紗栄子は生唾を飲み込むとドアノブにゆっくりと手をかけた。 「いらっしゃいませ」  ふくよかの女性が欠けた前歯を覗かせて挨拶をした。  随分と慣れた仕草で言うものなのでここで間違いわないのだろうと確信させる。 「すみません。初めて来たのですが」  紗栄子は髪を耳にかけながら申し訳無さそうに言った。  すると、すかさず待合室のような小さなスペースに置かれたソファに腰掛けるよう促された。座って待っていると、アンケート用紙を挟んだクリップボードを手に、横に腰掛けた。 「初めてということは、この業界も初めてですかね?」  問いの意味が良くわからいが、そうだと応える。 「なるほど。でしたら、軽く質問させてください。あなたの好みにあった赤ちゃんを提供できるとおもいます」  違和感を感じざる得ない言い方に怪訝な顔つきになるも、問われる質問には全て答えていく。  オムツ交換の有無、おしゃぶりの柄や形。  事細かく聞いてくるので後半は全てお任せと伝えた。 「ありがとうございます。それでは準備ができましたらお呼びします」  店員は受付の奥、垂れ布を手で掻き分けてどこかへと去っていった。  一人残され、改めて店の内装を見る。  至る所に赤ちゃんの可愛らしいイラストとベビー用品が切り絵として飾られており、天井にはベッドメリーが設置してある。  色合いもファンシー調なものが多く、穏やかな気持ちにもなれる。  拘りをもって作られた場所であると分かる。 「赤ちゃんのご準備できました。どうぞ」  紗栄子は勢いよく立ち上がった。  待合室の左にあるドアをあけると、さらにそこから3つの扉が現れた。 「今日は2番目のドアで赤ちゃんが待機しておりますので、ごゆるりとご堪能してください」 「あの、お代は?」  料金のことをすっかり忘れていたので、この場で聞くと後払いでけっこうという事だった。  では、と店員はお辞儀をすると去っていく。  紗栄子は緊張した面持ちでドアノブにてをかけると、深呼吸をしてゆっくりと回した。    ドアを少しだけ空け、隙間から中を覗き込む。  受付室と同じくこちらもファンシー調である。  ゆっくりと音をたてないつもりであけ、中へと静かに入った。 「こんにちわ」  消えそうな声で入ると、部屋の中央を遮る形でカーテンが引かれている。  そして、カーテン越しにはシルエットが浮かびあがっており、それがベビーベッドであることはすぐにわかった。  ベッドの上にも影が――大きいなと紗栄子は驚いた。  服を着込んでいてそうなのか、随分と大きい赤ちゃんが映っている。  時折、もぞもぞと動いておりその姿だけで紗栄子の心はときめいた。  早速お邪魔しようと、カーテンの中央から顔を覗き込ませた。  そこで紗栄子は一瞬見えた”もの”に脳が追いつかず、逃げるようにカーテンから離れた。  恐怖で目が見開き、動悸も早くなる。  喉にこみ上げる酸っぱさが鼻から抜け、気持ちが動転してしまう。  あれはなんだ。なんだあれは。  頭の中で同じ問いが繰り返され、カーテン一枚を隔てた先にいる”もの”は紗栄子の想像したものとは離れている。  体を震わせ、後ずさりはじめると、ベビーベッドのシルエットが少し大きくなった。こちらを見ているのか熊の耳のように頭部左右の丸い耳が揺らぐ。  そして、ゆっくりとベッドから降りるような動きをして、影は近づいてきた。 「あ……あ」  カーテンの端に野太く浅黒い指がかけられ、怪しい指の動きで徐々に開いていく。最初に大きな鼻が映ると、すぐに2つの垂れ目が紗栄子をとらえた。 「初めてのレンタル赤ちゃん屋さんへようこそ。今日は楽しんでいってね」  不気味な目つきで笑う見た目50代前後の赤ちゃん服をきた男はそういって紗栄子に近づいた。
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