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あと2日
茂末じいさんは、このところめっきり気弱になっていた。
先日、胸あたりの締め付けるような痛みで倒れ、生まれて初めて救急車とやらに乗った。心筋梗塞であった。最初の発作で事なきを得たのは幸いだったものの、大工仕事で培った頑健な肉体も八十四の齢を過ぎて、寄る年波には勝てぬのか。そんなことを考えながら己の裸身を映した鏡を覗き込み胸をさする。
──年を取ったものじゃ……
まだまだ長生きがしたい。今はその一念だった。だからこれまでの不摂生を改め、酒もタバコも止めた。女遊びすら減らした。
「茂末さんよ。あんたトメさんば泣かしたろうて……」
不意に声をかけてきたのは、さっきから湯船に浸かりながら何やらもの言いたげに茂末の方をちらちらとうかがっていた昌吉じいさんだった。その視線に気付いてはいたが、茂末は知らん振りを決め込んでいた。
「いんやあ。あいつぁ、出来た女房でのぉ……愚痴ひとつこぼしたこたねえ」
茂末は頭から洗面器の湯を引っかぶってからそう言うと、のっそりと湯に入り昌吉の隣に陣取った。
「はあーっ! 羨ましいこった」
「女房たぁ、そげなもんで」
茂末は得意げに言い放ち、何度も顔を湯で叩きながら昌吉を横目で見据え、鼻先でせせら笑った。
「うちのカカアにも聞かせてやりてえやい」
湯船の隅っこから亀太郎じいさんの声が割りこんできた。
「おめえんとこのはまだマシよ。オレのカカアときたら、あのクソババアはよお……」
「なんだって! 誰がクソババアだと、このヤロー! 誰のお陰でのほほんとしてられんのサ!」
突然、女湯から怒号が突っ込んできた。風呂場は一瞬静まりかえる。昌吉は口を半開きに声の方を向いたままのけ反って固まってしまった。
「亀さんよ、そろそろ出ようや」
茂末は亀太郎に耳打ちして促すと、昌吉だけを置き去りにして風呂場をあとにした。
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