レンタル第1号

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レンタル第1号

 締め切り間際の作家を部屋に閉じ込めて、執筆に専念させることを「カンヅメ」と呼ぶ。俺の体をレンタルしている若い作家が、今、まさにその状態だ。  俺は幽体となって宙にふわり漂いながら、自分の体がノートパソコンに向かって、おとなしく執筆する様子を眺めていた。  ワンダ氏の説によると、原稿の執筆は静まり返った部屋の中よりも、ファミレスなど多少の雑音がある環境の方が(はかど)るそうだ。それは俺にも、なんとなく分かる。  しかも作家は他人の体に閉じ込められて、逃げ場のない新幹線の指定席に座っているから、二重のカンヅメ状態だ。 「じゃ、あとはヨロシク」  列車が京都駅を発つと、それまで様子を見ていたワンダ氏はスマートフォンの画面から消えた。東京駅に着くまでの2時間、他の仕事をしてくるらしい。もしかしていちばん得をしているのは作家の監視から解放された、編集者かも知れなかった。  学生の頃、「(ゆう)チューブ」という脳内イメージ配信サイトに接続したことがあった。当時の友人がハマっていて、遊びに来てくれと言われたからだ。脳内イメージ配信といっても、もやっとした映像が頭の片隅に浮かぶだけだ、と聞いていたので、期待も不安も抱かずに試してみた。  ところで俺の祖先には、霊媒師が何人かいたらしい。血筋のせいか、友人が配信する脳内イメージを受信した時、そいつの「魂みたいなもの」が俺の体の中に「すぽっ」と入ってきたのだ。俺は内側から押されて「にゅっ」と体の外に出てしまった。 「体を奪われたのですか。大変だ」  ワンダ氏が口にすると、実際よりも物騒な話に聞こえた。 「実は、こっちが無意識で引き込んだみたいです」  初めての時は、「すぐ体に戻らなければ」と俺も慌てた。だが主導権はこちらにあって、入ってきた魂は俺の許しがなければ身体を動かすことは出来なかった。それに俺が望めば、いつでも体に戻れるのだ。  「いやあ、素晴らしいシステムだ」  俺が説明すると、ワンダ氏はやたらと褒めてくれた。 「新幹線の中では、もう書くしかないね。東京までガンバ!」  ワンダ氏のどすの効いた声援に、作家は「はあ」と、ものすごく気の抜けた声で返事をした。  名古屋駅に到着してドアが開く直前、作家がいきなり席を立った。俺は自分の体を動かして、シートに座らせた。今回の契約に、「途中駅での停車中は座席から動かないこと」という一文があるのだ。  作家は俺の顔で泣きそうな表情を作ったが、それでも諦めず、ドアが閉まるまで何度も席を立った。その度に俺は所有者の権利を行使して座らせた。通路を挟んで反対側の窓際に座った女性が、こちらを見て眉をひそめた。きっとあのべっぴんさんは俺のことを、「新幹線でスクワットをする変人」と思っただろう。  ドアが閉まって列車が走り出すと、俺は体を自由にした。作家は席を立って、トイレのある車両の端に向かった。もしかすると先ほどから、俺の体がトイレに行くことを要求していたのかも知れない。それならば悪いことをしたなと思いつつ、俺は体について行った。  自動ドアが開いた瞬間、俺の体が躍り上がった。ダイナミックなその動きに一瞬、俺は目を見張った。自分の体が見せた動きの、意外なキレの良さに驚いたのだ。  作家が動かしている俺の手が、壁に向かって伸びた。あれは何だ? その先に見えるプレートに赤地に白文字で、「SOS 非常用」と書かれているのが見えた。  俺は叫んだ。 「やめろ!」  幽体だったから、きっと誰にも聞こえやしないけど。俺は非常ボタンに向かって伸びる指先を、懸命に止めようとした。
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