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必殺技を放て
今日、俺の体をレンタルしているのは、名を聞けば誰でも知っている国民的作家だ。ご本人もハードボイルド小説の主人公のごとくいぶし銀で、野性味のある風貌をしていた。
ところが実際の先生は大人の渋みとは縁遠い、やんちゃ坊主のような人だった。
「今日は筆がのらねえなあ」
先生は、またぼやいた。両切りに火を点けようとしたのを俺に止められ、スキットルに伸ばした手も強制的に引っ込められて、不満たらたらなのだ。
ぶつぶつ言いながらも先生は執筆を続けていたが、出来れば黙々と仕事をしてもらいたかった。近くの席に、よく乗り合わせるあの女性がいたからだ。すでに変人と思われているかも知れないけど、さらに悪印象を与えたくない。
先生のような人と上手に付き合えるのは、ワンダ氏のようなやり手の編集者だけだろう。
事件は、唐突に起きた。
新横浜駅を出て、女性の車掌が巡回を始めた時のことだった。あの女性と同じ列に座っていた、中年の男が立ち上がり叫んだ。
「乗客は誰も動くな! 少しでも動いたら、この車両を爆破するぞ」
男は左手に使い捨てライター、右手には導火線のついた筒状の物を持っていた。新幹線ジャック、といったところか。
「要求は何だ。話なら、この私が聞こうじゃないか」
気が付けば俺の体は立ち上がり、犯人に向かって歩み出していた。まるで現場に居合わせた非番の刑事のように落ち着いた物腰だ。先生は書いている小説だけでなく、その生き方も男前だった。
「動くな! 一緒に消し飛びたくはないだろ?」
犯人は話し合いを望まなかった。ダイナマイトを持った手を伸ばし、手近なところにいた女性を捕らえた。威嚇だろうか? ライターを点けたり消したりしている。
先生は想定外の展開にたじろいだ。俺は、魂の底から込み上げてくる怒りに震えた。人質に取られたのは、あの女性だったのだ。
犯人の発言が本心かどうかは分からない。手にしているダイナマイトが本物かどうかも疑わしいが、この場合、最悪の事態を想定しなければならなかった。
ならば為すべきことはひとつ。一刻も早く、彼女を助け出すのみだ。
レンタルマンには、必殺技があった。俺が人の魂を自在に引き入れたり、押し出したりしている間に、偶然編み出されたものだ。
名付けて霊魂玉。魂を丸めたボールを投げつけると、ぶつけた相手が気絶してしまうほどの威力があった。ただし欠点があって、ボールにされた魂の持ち主も気絶してしまうのだ。無闇に使ってよい技ではなかった。
だが事態は急を要する。先生には申し訳ないけど、魂を使わせてもらおう。
俺は自分の体に戻ると、押し出されたハードボイルドな魂を手に取って丸めた。
「先生、ごめんね」
投球の狙いをつけるべく顔を上げた時、俺は意外な光景を見た。霊魂玉が手から落ちる。
犯人が座席に倒れ込んで、気を失っていたのだ。
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