3 傘になりたい【ふたご座】

1/1
前へ
/12ページ
次へ

3 傘になりたい【ふたご座】

 ロンドンで服の買い付けが終わり帰国すると、日本はまだ、梅雨の真っ最中だった。  じめっと肌に貼りつくこの空気が、どうにも苦手だ。  傘をさして、とりあえず会社に向かい、顔をだした。  一通りの業務をこなすと、ひとり暮らしのマンションに帰って、熱いシャワーを浴びた。  髪を乾かしていると、久々に居酒屋で生ビールを飲みたい衝動にかられた。行きつけの、ちょっとおしゃれであり、アットホームな店で。春歌(はるか)ちゃんという、歌手でもある子がアルバイトをしている。  もっとも、オレの目当ては春歌ちゃんじゃない。  飲みに誘いたいヤツがいる。  小学校からの腐れ縁、芙美(ふみ)だ。  なのに、LINEを送っても未読スルー。  こうしてベッドに寝転んでスマートフォンをいじっていても、いっこうに既読がつかない。   といっても、避けられれているわけでもなく、彼女の性格からして、LINEチェックを怠りがちなのだ。  四六時中、スマートフォンとにらめっこしているタイプより、全然いい。  海の向こうで恋しく想うのは芙美のことなのに、彼女のほうでは、オレはいつまでたっても幼なじみで同級生の立ち位置だ。  もしもオレが、彼女にとって連絡を待ち焦がれている相手なら、すぐに返事もあるというものだろう。  芙美は叶わない恋をしている。十八歳年上の四十四歳で、会社の上司。 「彼にバーベキューに誘われたの。淳史(あつし)も来て」、そう誘われて好奇心から同行したのは、去年の秋だった。  その彼は妻子をつれてきていて、芙美の笑顔がずっと引きつっていたことは、長いつきあいのオレにしかわからない。  芙美は心がほんの少し顔に出やすいのだが、その些細な変化にオレが気づけるのは、これまでずっと芙美を見つめてきたからだ。  オレは人見知りもしなければ、しゃべることも好きだから、その彼と話し、飲み、笑いあって、彼の奥さんがうちのショップの顧客にまでなった。  芙美は知りたいだろうに、奥さんがどういう人か、オレに訊いてくることはない。その上で、密かな片想いをつづけている。  それでオレも同じく、密かな片想い継続期間、更新中だ。  言葉巧みに、芙美に想いを伝える方法だってある。それをあえてしないのは、自然な流れで、向こうにこの気持ちを気づいてもらいたいからだった。  あきっぽい性格のオレが、ここまで気持ちが長くつづくことに、内心かなり驚いている。  だからこそ、このままでいいはずがない。  元来、じっとしているのは耐えられない性分だ。待っているだけじゃなくて、こちらから電話をかけてみよう。  明日はオレの誕生日。新しい歳がはじまるとき。  これまでのオレじゃないのだから。  窓の外は、六月の物憂い雨が降っている。芙美の傘に、オレはなりたい。                                                                         了 
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!

6人が本棚に入れています
本棚に追加