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3 傘になりたい【ふたご座】
ロンドンで服の買い付けが終わり帰国すると、日本はまだ、梅雨の真っ最中だった。
じめっと肌に貼りつくこの空気が、どうにも苦手だ。
傘をさして、とりあえず会社に向かい、顔をだした。
一通りの業務をこなすと、ひとり暮らしのマンションに帰って、熱いシャワーを浴びた。
髪を乾かしていると、久々に居酒屋で生ビールを飲みたい衝動にかられた。行きつけの、ちょっとおしゃれであり、アットホームな店で。春歌ちゃんという、歌手でもある子がアルバイトをしている。
もっとも、オレの目当ては春歌ちゃんじゃない。
飲みに誘いたいヤツがいる。
小学校からの腐れ縁、芙美だ。
なのに、LINEを送っても未読スルー。
こうしてベッドに寝転んでスマートフォンをいじっていても、いっこうに既読がつかない。
といっても、避けられれているわけでもなく、彼女の性格からして、LINEチェックを怠りがちなのだ。
四六時中、スマートフォンとにらめっこしているタイプより、全然いい。
海の向こうで恋しく想うのは芙美のことなのに、彼女のほうでは、オレはいつまでたっても幼なじみで同級生の立ち位置だ。
もしもオレが、彼女にとって連絡を待ち焦がれている相手なら、すぐに返事もあるというものだろう。
芙美は叶わない恋をしている。十八歳年上の四十四歳で、会社の上司。
「彼にバーベキューに誘われたの。淳史も来て」、そう誘われて好奇心から同行したのは、去年の秋だった。
その彼は妻子をつれてきていて、芙美の笑顔がずっと引きつっていたことは、長いつきあいのオレにしかわからない。
芙美は心がほんの少し顔に出やすいのだが、その些細な変化にオレが気づけるのは、これまでずっと芙美を見つめてきたからだ。
オレは人見知りもしなければ、しゃべることも好きだから、その彼と話し、飲み、笑いあって、彼の奥さんがうちのショップの顧客にまでなった。
芙美は知りたいだろうに、奥さんがどういう人か、オレに訊いてくることはない。その上で、密かな片想いをつづけている。
それでオレも同じく、密かな片想い継続期間、更新中だ。
言葉巧みに、芙美に想いを伝える方法だってある。それをあえてしないのは、自然な流れで、向こうにこの気持ちを気づいてもらいたいからだった。
あきっぽい性格のオレが、ここまで気持ちが長くつづくことに、内心かなり驚いている。
だからこそ、このままでいいはずがない。
元来、じっとしているのは耐えられない性分だ。待っているだけじゃなくて、こちらから電話をかけてみよう。
明日はオレの誕生日。新しい歳がはじまるとき。
これまでのオレじゃないのだから。
窓の外は、六月の物憂い雨が降っている。芙美の傘に、オレはなりたい。
了
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