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 拓海の朝は早い。  それはもう早朝の四時頃から。まだ家族の誰も起きていない時間帯、一人自室の勉強机に座り考え事をする習慣が身についている。  丸、三角、四角の三種類を毎日同じ時間に思い浮かべ脳内で構築していき背の高いタワーを積み上げる。  三角の下に丸が来るとそれはもう一発アウト、バランスを保てなくなり一気に崩壊する。やはり一番下は四角が一番安定する、三角は一番上が丁度よく収まる。  そうこうしているうちに一時間、二時間があっという間に過ぎ去り一階リビングから母親の呼ぶ声。 「拓海、ご飯だよ」  朝食の支度を済ませた母親の甲高い声。不健康そうな白い足を一歩一歩前に踏み出し階段を降り一階リビングへと到着する。  ダイニングテーブルについてもう朝食を食べ始めている母親と父親。  いつもの席、いつもの光景、いつもの三人、いつもの変わらない朝食。焼き鮭に味噌汁と漬物と白米のバランスの良い朝食。この朝食に不満は特にない。食へのこだわりなんて一ミリたりとも俺は持たない。  手早く胃袋にそれら全てを放り込むと足早にまた二階自室へと駆け上がっていく。長い長髪を振り乱して自室ドアを閉めた。  薄暗い部屋の光景にここは夕方かと一瞬錯覚してしまいそうになるが今は早朝六時過ぎの時間帯、締め切られたカーテンの隙間から薄っすらと朝日が差し込み部屋の一点に光の束が出現している。定規で垂直に伸ばしたかのような光の線。空気の悪いこの部屋に微かに現れた後光の光。  日がな一日が今日も始まる。長い長い一日が。  午前中を本を読んで過ごす事の多い俺は漫画本を一冊取りベットに寝転がる。ページを開き、もう何回読み潰したのかわからない古い漫画本を最初のページから読み進めていく。  コマごとの決まりごとに俺は縛られない。コマの視線誘導を無視し自分の好きなように読んでいく。話の繋がらない部分が生じてきて、頭の中に『?』マークが浮遊しても自分の好きなように読み進めていく。  右上のコマから始まり、横、下、横、次ページ、右上、横、下、横、次ページ。  漫画とは普通はこう読むもの。  俺の場合。  左下、右上、横、下、2ページ飛ばし、右上、下、1ページ戻り。  と言った具合にわけのわからない読み方をする。  話が繋がるわけもない、起承転結のめちゃくちゃな奇怪な漫画ストーリーの出来上がり。漫画に正しい読み方などないのが正直な所。どう読んでも構わない、作者の伝えたい想いと読者の感じ取りたい想いはまるっきり違う、こう読んでくださいという正しい説明書じみたモノなど存在しない。  絵と短い文章の集まり。映像ではない、静止画となって目の前に存在し続ける。目を開けて両手に漫画本を持っている限り。 「拓海、仕事行って来るわね」  初老の母親が自室部屋越しにそう言い残し家をあとにした。父親はいつの間にか近所に出かけていた。  どんどん漫画を読み進める俺の姿は到底漫画家志望者には見えない。読む暇があるなら描くはずで、それでも俺は一向に漫画を描こうとはしない。  やはり勉強机の上に広がるのは白紙の漫画原稿用紙で、汚れひとつない綺麗なモノとなってそこに存在し続けている。  午前中の日課である読書の時間が終わり静かにベットで目をつぶる。  睡眠に突入し短い昼寝も毎日の日課。一時間ぐらい深い闇の中に潜り得られるモノなど何もないのに頭がボーッとなって現実に戻ってくる。  今が昼間なのか夕方なのか、時計の存在しないこの部屋では確認することも難しく、時間感覚を狂わせ永遠の時を彷徨う少年となって令和のこの時代を一人生きている拓海である俺。  短い昼寝から起きたのは昼の一時の時間だった。小食の俺は昼食を取らない。痩せ細ったガリガリの体でおもむろに勉強机へと座る。  やはり漫画を描く気力が一向に出ない。ボケ~っと空中を眺め続け呼吸をしているだけの存在。神や仏に近い存在なのかもしれない、その境地に近い。  瞑想まがいの自分探し。自分を探し続ける。どこまでも続く長い道の果て、一体その先に何が待ち受けているのか。その時がいずれ訪れる、そう信じてやまない二十六歳の現在の俺。  午後の時間をそうやって過ごし、あっという間に夕方を過ぎ夜になった。  母親は帰宅し夕食の準備をしている、父親もいつの間にか帰ってきていたらしい、リビングでくつろいでいる。  いつものように夕食を食べ、風呂に入り、夜八時頃早めに寝る毎日。変わり映えのしない一年の過ごし方、二十六年間の集大成、今が一番輝く時。  布団で寝返りを打つ姿勢。呻き声を上げ静かに苦しがる。  悩んでいるようには自身でも思えない。本当は悩んでいるのかもしれない。
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