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 姉が二年前に亡くなった。  それはもう綺麗な姉だった。自慢の優しい姉。物腰の柔らかいお上品な女性。父や母もそんな姉のことが大好きだった。  俺と姉の年齢差は二歳。  俺の方が二歳年上だ。  二歳違いの正真正銘の姉、お姉ちゃん、姉上。俺もそんな姉が大好きだった。  年齢でいうと俺の方が二年生まれるのが早かった、享年二十二才の姉と現在二十六才の俺。姉が死んだ時俺は二十四才だった。  ピアノが上手い頭の良い姉だった、それこそ殿方からのアタックは尋常じゃなく多かったに違いない。と思う。その一人に俺は含まれている。ただ単純に好きだった。異性として。女として。性の対象として。  俺が生まれて二年後に姉が生まれた。その頃の幼児期の記憶は正直ほとんんどない。物心ついた四才頃に二才違いの姉の存在が常に身近にあり、その頃から俺はあれを姉だと思い込んでいた。  姉がよく言う口癖があった。 「拓ちゃんの将来のお嫁さんにしてね」  花嫁になる夢を持ち続けていた優しい姉。叶うことなく一人虚しく死んでいった。部屋の中で首を吊ってぶら下がる。今でもあの時の光景が鮮明に脳裏に思い浮かぶ。だって死顔が微かに微笑していたんだ。  あの微笑みの意味を姉に問いただしたい。死人に問うことは叶わない、誰にも分からないあの小さな微笑みの意味。  白いドレス姿で首にロープをかけロフト部分鉄柵に。ぶら下がるあの異常な狂気にも似た光景が嫌に不気味で。それでいて愛する姉の白いドレス姿に目が釘付けになったのも確かで。  首が伸びきった痛々しい姿に両親は膝をついて涙を流すしかなく。嗚咽の混じる奇妙な母親の声に俺は少し不審がりながら、隣の父親を横目で眺めていた。  静かに涙を流す父親、自分の娘の最期を見やる苦痛、斜め上を向いてその妙な死顔にやはり静かに涙を流すことしかできない父親。  あの時の自分は正直に告白すると、興奮していた。少々言いにくく恥ずかしいデリケートな部分でもあるが俺は勃起していた。両親に見つかりそうになって隠すのが大変だったのを今でもよく覚えている。  死体で興奮するそんな異常な性癖を自分は持ち合わせていない。そんな高等技術習得した覚えはない。逆に世の中のそんな性癖を軽蔑していたりもする。  あの時は変に股間が反応したのだ、不思議な感覚だったのを今でも覚えている。姉の死に姿が素直に綺麗だったし性的にも魅力的だった。あの白いドレス姿は反則だ、それにあの死顔。一瞬で虜になるに決まっている。  姉は罪な人だ。断罪人。愚かな罪を犯した。  弟である自分の。年上男性である自分の。女性とお付き合いしたことのない自分の。清純な恋心を踏みにじり勝手に何処かへと去っていった。  自室の勉強机に静かに座り物思いにふけっている拓ちゃん。拓海二十六才。  無職。童貞。漫画家志望の引きこもり。絵は上手くない。  もうろくに漫画を描いていない日々。高校卒業後の八年間漫画家志望という肩書だけでやってきた苦労人。実際には絵は上手くないし面白いお話も思いつかない。  勉強机の上には白紙の漫画原稿用紙が広がり、コピー用紙と違ってツルツルした質感の高級そうな漫画原稿用紙。絵が描きにくくてしょうがない上質な紙。  何を隠そう俺はこれまで漫画を一作も描き切ったことがない。八年間の歳月で習得したものといえば、描かなければ批判されることもないという確固たる信念。そして傷つかないで生きてゆく自己防衛の為の部屋籠りという篭城作戦。  漫画作品を一作描き切り、出版社への持ち込みや漫画新人賞への応募、それらは必ず批判対象に繋がる。自分を否定され受賞できなければ何も変わらない未来が待っている。労力と結果がどうにも噛み合わない、偏っていると強く俺は思っている。  漫画家志望という確かに何かをやってる志が欲しくてGペンや定規、スクリーントーンなど高級なものを買い揃えた。自称漫画家と言えば誰でも漫画家になれる時代。描かない漫画家も確かにこの世には存在する、その一人に含まれている優越感に浸り、ただ時間だけを浪費する二十六才の拓海という俺。  俺には妹が存在していた。しかし俺はそれを妹ではなく姉と信じてやまない。二才歳下の妹は本当は姉。  大人っぽかった俺の妹である沙也加は傍から見れば俺のお姉さんに見えなくもない。そんな沙也加ももうこの世には存在しない、俺が二十四才の二年前に自殺してしまった。  あんなに綺麗だった姉が火葬される時、俺は妙に興奮していた。焼かれた骨が姿を表し骨壺へ箸で入れていく作業。これがお姉ちゃんの骨、本当に人間は骨で出来上がっているのだと静かに実感し、正真正銘の物となった白骨を頭部分の髑髏を見やり。正直に股間が反応した。 「この部分が喉仏になります」  火葬場職員の説明も上の空で聞き流す俺。焼けた骨を上から下まで舐めるように観察していた。胸骨、腰骨、骨盤、大腿骨、くるぶしの骨。  骨であっても美しかった。こんな綺麗な骨は見たことがない。憂と哀愁を漂わせる静かなる骨、自分の姉である沙也加の正真正銘の骨。  そんなこともあったなあと自室勉強机で物思いにふける現在の俺の姿。  子供時代から変わらない幼い印象の子供部屋。壁のポスターが時代を感じさせる、昔放映されていた少年アニメの大きなポスター。  ベットも小ぶりで多分幼い頃から変わっていない。家具配置もずっと昔のまま、本棚漫画本の日焼けの跡がもの凄い事になっている、厚手のカーテンは締め切られたまま。  漫画が好きで漫画家を職業にしている、漫画家志望をしている、人に夢を与える仕事ほどやりがいのある仕事はない。好きを仕事にして老いていきそのまま寿命で死ぬ。そんな人生設計を思い描く意志の強い俺。  本来ならばここに、人生設計の一部分に姉である沙也加も含まれていた。突如変更を余儀なくされた未来図。姉とずっと一緒に生活していくのとばかり思っていた。  漫画を描く気配を全く見せない漫画家志望である俺。  静かに勉強机に座っている。  Gペン用の黒インクの瓶はがっちり固まり開きそうもない。ホワイト修正用の修正液も登場の機会は少ない。描いていないのだから。定規は無くしてしまっていた、多分部屋のどこかにあると思う。  机に広がる上質紙の空白部分が異様にデカい、白部分しかない、黒は存在しない。背景もキャラクターも台詞も存在しない世界、俺の頭の中にすらそれらは存在しない、日々何を思い生きているのかと自分に問いたくなる。  姉の死以前からこの状態。そもそも描く気がないのだ。自称漫画家志望の天才。才能はあると信じている。よくある言葉『今はその時ではない』それも信じている。時が時間が解決する、人生とはそういう風にできてる。いつか傑作が出来上がり時代の寵児となる。世間は意外と寛容で簡単なもの、面白い作品は簡単に描ける。 『今はその時ではない』  この一文で全てが解決してしまう。とてつもない破壊力を秘めているこの一文。  髭まみれの面で部屋全体を見渡す俺。 「おしっこ」  膀胱に尿が溜まりトイレへと行く。部屋の中では流石にできない。  静かに部屋を後にする。現在の時刻昼の十一時。時間の進みが遅い俺の身体。
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