夜の波間に響くブルース

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 寄せては返す波の音を浴びながら砂浜にしゃがみこんだ。  辺りには誰もいない。  目を前に向けると真っ暗な夜の海が広がっている。  俺みたいな下手くそには寧ろ不釣り合いなくらいのステージングだろう。  そんなことを想いながらケースからギターを取り出す。  浜辺でギターなんか弾いたら弦がサビサビになるって?  そんなことはわかってる。  このギターは使い古しだ、問題ない。  サビたら変えりゃいいだけだ。  絶対音感なんかないし、音叉でのチューニングも自信がない。  でも問題ないさ。  最近はスマホのチューナーアプリってのがあってチューニングできんだよ。  バッチリ決めて音出し一発。  …………上手くない。  歌を重ねる。  いつまでも下手なままだ。  理由は簡単、練習してないからだ。  何年やってんだろとも思うけど。  それでもいいさプロじゃないんだもの。  弾くのも歌うのも好きなんだ。  オリジナルだってありゃしない、自分の演奏で好きな歌を好きにうたえりゃそれでいい。  俺は辺りを気にせず力を込めてストロークしながら歌をがなった。  数曲終わったところだったか……  パチパチパチパチ  拍手が聞こえてくる。  驚いて振り向くと誰かいる。  歳の頃は二十代前半くらいだろうか、女の子だ。  薄闇にまみれてはっきりとは見えないがそれでも顔が整っているのは分かった。 「なかなか良かったわ」 「そっかな。あまり演奏に自身はないんだけどね」 「そんなことは関係ないわよ。魂のほとばしり、熱い思いをぶつけるのが大事だと想うわ」 「ははは、そこまで言われると照れちゃうな」  そう返しながらも気づいている。  彼女の言葉は技術的な上手さを認める内容じゃないってことに。  そりゃ人に聞かせるレベルじゃないことくらい自分でもわかってる。  だから誰もいない海に来たんじゃないか。  とはいえ、若くて綺麗な女の子に言われたら悪い気はしない。 「あ、じゃあ。君も弾いてみる? 魂のほとばしり聞かせてよ」  話の様子からギターを弾いたことがあるんじゃないか。  少なくとも興味はあるんじゃないかと想った。  そうじゃなきゃこんな真夜中、俺なんかに声をかけるはずない。 「本当? じゃあ、ちょっといじらせてもらおうかな」  言うと彼女は一発。  ジャカジャーンと軽くストローク。  それだけでぶっ飛んだ。  続けて夜の波間にこだまするアメリカの古い古いドブルース。  完敗だった。  いや、勝ち負けの問題じゃないんだが、打ちひしがれた。 「…………見事だね」  演奏が終わった後もそれしかいうことができない。 「んふ。ありがとう、なかなか良いギターね。でも……」 「でも?」 「こんな所にもってきたら弦がサビちゃうわよ。湿気もあるし」 「いや、それは分かってるんだ。でもそれ、もう既にサビサビなんだ。そろそろ変えようかと思ってたんだよ」 「そうなのね。じゃあよかったら、ここに来て頂戴」  言って、彼女は名刺サイズのカードを手渡してくる。  まさか、この展開で連絡先でも教えてくれるのだろうか。  少し期待しながら書かれた文字に目を走らすとそれは市内の楽器屋の案内状。 「私、そこの店員やってるの。ご利用お待ちしてますね」
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