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朱音は、母と祖母の顔を思いながらクルリと踵を返した。予定を繰り上げて水族館に向かう。
水族館は歩いて15分ほどのところにあった。ゲートをくぐり、数々の水槽の前で足を止めては泳ぐ魚たちを眺めた。
巨大な水槽では、イワシが群れをつくって銀色に煌めき、舞踏家のように軽やかに舞っていた。ファットが見たら興奮するだろうなぁ。……飼い猫のファットを思うとため息が漏れる。
カツオやマグロは陸上競技のアスリートのように脇目も振らずに直進している。何を追うでもなく、何かに追われているのでもない。自分の意思で尾ひれを振り、水を切って青く輝く。漠然とした不安に悩む朱音には、羨ましい存在だった。
「魚たちは息苦しいと言っています」
背後からした声は、朱音の気持ちと正反対のことを言っていた。
振り返ると、白髪の老人が水槽の中で揺れる海藻のように立っていた。顔色は蒼く、額にある大きな黒子は三番目の眼のように見える。左手を胸に当てるようにして一冊の本を抱いていた。タイトルは〝自由からの逃走〟……。
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