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2人の目の前をマグロたちが通り過ぎる。その後に、朱音が自分だといったイワシの姿はなかった。まるで手品を見ているようだった。
「イワシの悲鳴が聞こえたかな?」
朱音は首を横に振る。
「マグロの歓喜の声は聞こえたかな?」
朱音はもう一度、首をゆっくりと振った。
「小さなものは食われる。大きなものは止まれない。止まると呼吸ができなくなるからね。いずれにしても、生き物は死に向かって真っすぐに進んでいるのだよ。だからといって自ら死を選ぶことはない。生きるためには逃げることも隠れることも大切なことなのだ」
逃げる? 何から?……朱音は頭の中で言葉にした。すべては自明なのに。
老人は目の前を通過するサバを指した。
「彼らも海を泳ぎたいと言っている。そこで子孫を残すのが彼らの希望だ。たとえ海で多くの危険が待っていようと……。そうしなければ未来はないと知っているのだ。しかし彼らには、それをする力がない」
朱音は意識を集中した。が、サバの声は聞こえなかった。いつの間にか朱音に向いた老人が、心を覗き込もうとするように眼を大きく見開いて真っ黒な瞳を光らせていた。
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