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町にある図書館の奥。司書も知らないような大きな扉があるのだという。
ふらふらと館内を歩いていると、その扉はふいに、元からそこにあったかのように、そこにある。その扉は、ほんの少し開いたその隙間から、まるで誘うように、光を溢している。それを見つけたものは、無意識のようにふらりとその扉へと向かう。重いような、軽いような、その扉を押し開けると、その先には―
「……」
一番上が見えないほどに高い本棚に、ぎっしりと様々なサイズの本が並べられている。奥行きは分からない。どこまでも続き、その先は暗闇に包まれている。扉からこぼれていたあの光が嘘のように、その先は静かで薄暗い空間だった。
つい、ほぅ…というため息が漏れる。それほどに圧巻の景色だった。
「……ぁ」
ふと、目の前に続く、他とは違う開けた場所に、一組の机があったことに気づいた。その上には、何冊かの本が積まれている。手元を照らすためだけのような、小さなライトがぼぅ―と光っていた。
「…あの…」
そこに座っていた、人の声を掛けてみる。よくわからぬままにこんなところに来てしまったものだから。ここがどこかを聞くために。
よく見ると、その人物は目深にフードを被っており、表情がよく見えない。なんだか、よくわからない形に盛り上がっているのが気になるが…髪を結んだりしているのだろう。
「…あの、」
フードを被っていて聞こえなかったのかと思い、もう一度声を掛ける。先ほどよりは大きめの声で。とはいえ館内である。これ以上大きな声は出せない。
しかし、これでも聞こえなかったのか彼(彼女?)は黙々と手元にある本を読んでいる。その手のひらも、やけに大きく見えるし、真黒に見えるのだが…。寒がりで手袋をしてるとかだろうか?もこもこタイプの。
「あ「やぁ」
「!?」
もう一度声を掛けてみようとした瞬間、別の声が響く。
「あぁ、すまない。少々待っていてくれ」
何事かと思い、狼狽える私をよそにその声はそう告げる。どこから声がしてるのだろう…。そう思いキョロキョロしていると、頭上からもう一度声がかかる。
「こっちだよ」
「?」
ふ―とその声がした頭上に視線を上げると、本棚に備え付けられているのか、梯子に立つ人物がいた。
片手には本を持っており、よくそんなアンバランスな格好で降りてこれるものだと感心したもつかの間―私は声の主の顔を見てもう一度驚いた。
「ようこそ、いらっしゃい」
目の前にやってきた彼。身長は私より少し大きいくらい。
すらりとした印象の服を着こなし、その足よりも長い白い尾をゆらりと振っている。
瞳はサファイアのような青い美しく大きな猫目。
頭には三角形の大きな耳が二つ。
透明で見えずらいが、ピンと張った髭があり、その中心には可愛らしい小さな鼻。
白く美しい毛並みの
「ね、ねこ…?」
目の前の彼は、まぎれもなく猫そのものだった。立っているし、服を着ているし、普通に話しているけれど―猫だ。
「ホントは、君が来る前に諸々終わらせておこうと思ったんだけど」
―久しぶりのお客様だったから。
私が動揺しているのに気づいていないのか、それともここに来るお客様というのは、大抵こういう反応をするから慣れているのか。
こちらの事などお構いなしに、目の前に立つ猫は話を続ける。
「あぁ、彼はいつもあんなだから、気にしないでくれ」
『……』
そう言われて腹が立ったのか、こちらをねめつける彼―曰く机に座っていた人物。よく見ればそのフードの奥には黒毛の美しい猫の顔があった。その瞳はルビーのような紅。手元が黒いのもそういう事か。
「おぉこわ…」
『……』
たいして怖くもなさそうにその視線に応える。それに対し、黒毛の彼は興味を失ったのか、再度その視線を本に落とした。
「さ、いこうか」
「ぇ、あ、はい」
目の前の彼ももうその話は終と打ち切り、その白く美しい尾を私の腕に絡めてきた。
そのままつられるように奥の方へと進む。その道中にもたくさんの本が並んでいる。どんなものがあるのだろうとその背表紙に視線を走らせてみるが、何も分からなかった。文字がそもそもはっきりしないというか、ぼんやりしているというか、文字が文字として成立していないような感じだった。
「……」
そしてそのままに歩いていくと、一つの本棚の前で止まった。そして、数多く並ぶ本の中から迷いなく、二冊の並んでいた本を取った。
「はい」
「?」
渡されたその二冊を手に取る。同じような色合いだが、別々の二冊。うち一冊は少々色あせており、もう一冊に比べて二倍以上の厚さがあった。
「これ…」
よく見ずとも、その表紙に、見慣れた文字が並んでいることに気づいた。
薄い方には私の名前、もう一冊には母の名前が書かれていた。
同姓同名の作者のものだろうかとも思いはしたが、これはタイトルそのもののように書かれている。
「おや?そういう用向きだと思っていたんだが…?」
「そういう…とは?」
ここは何の本を並べているのだろう。私は何をするためにここに呼ばれたのだろう。
「君は、幼くして母上を亡くしてる。そのつらい記憶を無意識のうちに蓋をして意識から外して―忘れつつあった。けれど、君の愛する母上の記憶がなくなりつつあることに、君は恐怖を覚えた。なぜかは分からないが。僕はそこまでは理解しようがないからね。
「……」
「ここには、人間や動物の、生きとし生けるもの者たちが忘れてしまったものが記された本が並んでいる。忘れたもの、失くしたもの、忘れたかったもの、捨てたもの。それぞれあるけど、どれも忘れ去られてしまったものたちだ。物語たちだ。
「……」
「大抵のものはそのまま、忘れたままに一生を終えていく。
「……」
「―けれどまれに、君のように忘れたものを取り戻したいと願うものがここにやってくる。理由はそれぞれだよ。色々ある。
「……」
「そしてここに来たお客様に、記憶の本を貸している。それを読むことで追体験をして、その記憶を記録として刻む。もうここに来ることがないよう、一生忘れられないように。―それがいかにつらい記憶であろうと、だ。望んだのは自分自身だ。自分の願いには責任を持たないとね。
「……」
「それでも忘れてしまうものもいるのだから、不思議なものだよねぇ。貸した記憶は本人の記憶に返却されたから、ここに戻ってくることはないんだ。本来はね。けれど、こちらに戻ってくる本がある。大抵は君たち人間の記憶。忘れたくないと願ったくせに忘れていくんだよ。
「……」
「中央に居た彼は、ほんの管理をしていてね。戻ってきた本かどうかを確認してるんだ。新しく忘れたものか、もう一度忘れたものか。
「……」
「僕かい?僕はここの案内人さ。君のようにここに呼ばれたモノたちに、望む記憶を貸している。それ以外はそうだな、もっぱら整理ばっかりかな…
「……」
「おっと、少々長話が過ぎたな。彼に怒られてしまう。そろそろ君を送ることにしよう。あぁ、本の返却については気にしなくていいよ。さっき言ったように無くなるから。君がちゃんと読んで、追体験をして、記憶に刻み込んで。
「忘れたくないと願った母上の記憶を持ったままに。
「……」
「ここの事も、僕との会話も、その本のことも、きれいさっぱり忘れて。
現実を生きて、いきたまえ。
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