巡る

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「お願いします!」  白い病室のベッドの上で、岳斗(やまと)は叫んだ。 「何としても出たいんです!テーピングでも痛み止めの注射でも…何でもいいんです!どうにかして八十分だけ、足を動かせるようになりませんか?俺…俺どうしても今日の試合に出たいんです…!」  恰幅のいい白衣の医師は、困った顔で首筋を掻いた。 「君は今朝、半月板損傷が原因のロッキングを起こして、激痛で救急搬送されて来たんだよ?今もまったく足を曲げられない状態だ。こればかりはどうしようもない…分かるね?手術は明日に決まった。残念だが今日の試合は諦めよう。な?」  そう言うと、医師は看護師を伴って病室を出て行った。 「くそっ…!」  涙が滲んで視界がグシャリと歪む。  痛みを堪えながらも、昨日まで何とかサッカーは出来ていたのに。    仮に今日の試合に勝ったとしても、勝ち点の足りない我が校は予選ラウンドで敗退が決まっている。  どうせ消化試合じゃないか、と誰もが思うだろう。  だが今日の試合は、岳斗にとって特別な一戦だ。  高校で最後の…引退試合になるのだから。  一年生の時からコンビを組んできたダブルボランチの相方、斉藤(さいとう)は高校を卒業したら海外留学する。  二人で出る最後の試合は絶対に勝とうと固く約束したのだ。  なのに、何でよりによってこのタイミングで…っ!  岳斗は頭を掻きむしった。  試合開始まであと数時間。  往診鞄を抱えた白衣の男性が、静かに病室に入ってきた。  さっきの医師とは背格好が違う。  痩せぎすで、かなりの高齢だ。七十代後半、もしくは八十代前半ぐらいか? 「…痛むか?岳斗」  しわがれた声だが、どこか聞き覚えのある響き。  それに何となく、誰かに似ている気がする。 「…ん…?」  白衣の胸元には「斉藤」というネームプレート。  もしかして。  …斉藤のじいちゃんとか? 「あの…」 「岳斗はどうしても試合に出たいんだろ?ん?」  白衣の老人は、シワシワの笑顔を浮かべた。笑うとますます斉藤に似ている。 「は、はい!」 「なら今から俺が治してやる」 「え…?治せるの…?」 「勿論だ。この日のために柔道整復師、整形外科医として研鑽を積んできたと言っても過言ではないからな」 「?」  老人は往診鞄の中から次々に医療器具を取り出した。  岳斗の足の皮膚をアルコールで消毒し、二種類の注射を打つ。  麻酔液を塗り、しばらく待ってから、今度は局所麻酔の注射を打った。  麻酔が効くまでゆっくり待て、と言われ、岳斗は寝転んで目を閉じた。 「そろそろやるぞ」  老人に起こされて、岳斗は目を擦った。うっかり眠っていたようだ。  老人は、状態を確認するように岳斗の膝の裏を触りながら、足を曲げ伸ばししていくつかの方向に引っ張った。  麻酔が効いているせいか、痛みは感じない。施術はあっという間に終わった。 「よーし。完璧に入ったな」  白衣の老人はシワシワの顔で、満足げに笑った。  テーピングとサポーターをしてもらい、麻酔が切れる時間まで待ってからゆっくり立つようにと指示された。  その後、老人は二度と病室に現れなかった。  岳斗は高校最後の試合にフル出場し、チームは勝利した。  大学を出て社会人になって。  あれから十年。  今も趣味の範囲だがサッカーを続けている。  全ては斉藤という名の年老いた医師のお陰だ。  あの後、病院を抜け出して試合に出たことをこっぴどく怒られたが、翌日膝を再検査した医師は驚いていた。  ロッキングを起こしていた半月板は平らに収まり、二つに割れていたはずが完全にくっついて元通りになっていたのだ。  斉藤という医師は、その病院には存在しなかった。  夢でもみたのかと思ったが、外したテープもサポーターも手元にある。  サポーターはみたことのないメーカーのもので、材質もちょっと他にないようなものだ。何かヒントにならないかとネットで探しまくったが、ついにみつからなかった。  試合の後、斉藤にだけ不思議な老人の話をした。  親戚にそういう人はいないのか?と訊ねたが、斉藤が知る限り、縁者に医師は一人もいないと言う。 「あなたは誰なんですか?って訊いたら、『岳斗、俺、斉藤だよ』って言うんだぜ。意味わかんねーだろ」  そう言うと、斉藤は目を丸くした。 「どっから来たのか訊いたらさ、『未来から来た』って言うんだよ。『タイムマシンのレンタルサービスがやっと始まったから』って。真顔で冗談かましてそのままどっか行っちゃって、礼も言えなかった」  荒唐無稽な話をしたのに、斉藤の顔は真剣そのものだった。  高校卒業後はスポーツトレーナーを目指すと言っていた斉藤は、突然進路を変えた。  猛勉強して医学部に入り、整形外科医になったのだ。  今は勤務していた大病院を辞めて、地方でゴッドハンドを持つ男と呼ばれる天才柔道整復師に弟子入りを志願し、師事している。  内心、病院を辞めるなんて勿体ないと思っていたが、絶対に治したい患者がいると斉藤は常々口にしていた。だから止めなかった。 「ただいま、岳斗。行って来たぞ」  シワシワの笑顔を浮かべ、斉藤は仏壇に手を合わせた。  岳斗は三年前、九十六歳の時に老衰で亡くなった。  亡くなる少し前、岳斗は斉藤の顔をしげしげとみつめて礼を言った。 「そのシワシワの顔、俺未だに覚えてるよ。あれは…お前だったんだな。あん時はありがとう」  岳斗は何度も礼を言った。  斉藤は涙が止まらなかった。  岳斗を見送った後。  タイムマシンが実用化されるまで、自分は死ぬ訳にはいかないと思った。  絶対に岳斗を治しに戻る。  そう心に誓った。  レンタルタイムマシンは一日一組限定、向こうの時間軸での滞在可能時間は最大六時間だ。  一回の利用料金で、都心に家一軒建てられるだろう。  幸いにも今の斉藤にはそれだけの財力があった。  岳斗の長女が、仏間に茶を運んできた。  礼を言って一つを仏壇にあげ、一つを受け取る。 「子供の頃、お父さんから斉藤先生のお話を何度も聞きました。おとぎばなしだと思っていたけど…斉藤さんがお父さんに起こしてくれた奇跡だったんですね」 「奇跡というと格好良すぎるかな。俺にとってはあの試合が人生最高の瞬間だった。だからまぁ、何だろう。あの瞬間を味わうことが人生の目標になった、て感じかな」  高校に入っていきなりボランチに転向した斉藤は、小学生の頃からボランチをやっていた岳斗の足手まといになっていた。  中々うまくやれずにミスを連発した。  落ち込むたび、岳斗は斉藤を励ました。  諦めるな、お前なら絶対出来る、と。  レギュラーを外されそうになった時も、岳斗が監督に進言した。  もう一度チャンスをくれ、このコンビなら必ず結果を出せると。  いつも心の根底に、岳斗の言葉がある。  そのことを話せないまま、礼を言えないまま、岳斗は旅立ってしまった。  岳斗はきっと、大袈裟だと笑うだろうが…。  斉藤は、仏壇に手を合わせた。  なぁ岳斗。  そっちでまた会えたら俺の話を聞いてくれるか。
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