オレンジ

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「なー、(はな)。俺と付き合えよ」  それは高校二年生の初夏。  お昼休みの屋上での出来事。  同じ高校に通う幼馴染の(いつき)の想定外な言葉に、私は飲んでいたパックジュースを握り潰した。  樹とは生まれた時から一緒で。  なんかもう、家族みたいな存在だ。  子供の頃は私より背が小さかった樹。  中学二年で追い抜かされた時は本気で悔しかった。  それから樹の身長はどんどん伸びて、今は私が見上げてる。  樹は文武両道。美人な母親に似て顔もいい。  つまりは学校の人気者。  噂ではファンクラブみたいなものもあるらしい。  変に嫉妬されたくなくて最近は樹を避けてた。  なのに、この男はお構い無し。  毎日毎日、私の傍をウロウロしてる。 「返事は?」 「……あのさー。笑えないんだけど、その冗談」  溢れ出たジュースでベタベタになった左手を振って呆れてたら、樹が迫って来た。  思わず後退りしたら背中にフェンスが当たる。  焦って見上げた先には、いつになく真剣な表情の樹。 「俺、本気なんだけど」 「……なんで」  なんで私?  私は可愛くも賢くもなくて、平凡。  この学校には美人な子も可愛い子もいる。  樹なら選び放題でしょ? 「おまえと居ると気が楽なんだよ」 「まあ、子供の頃から一緒だし。それはわかる。でも、それと恋愛は別でしょ?」 「俺は花のこと好きだし」 「私も好きだけど」  って言ったら樹は本当に嬉しそうな顔した。 「それは幼馴染としてっていうか……家族みたいな感じ」 「なんだソレ」 「私、知ってるんだから」 「何を」 「樹、いろんな子と付き合ってたって」  それはもう、同級生から下級生、上級生まで満遍(まんべん)なく。  同じ学校に居れば聞きたくなくても耳に入る。  最初は複雑な気持ちだった。  けど、樹は私のモノじゃないし。  勝手にどーぞ、と思ってた。 「それは認める」  あ、認めるんだ。 「だからわかった。俺には花しかいないって」  ずるい。いつの間にそんなセリフ覚えたの? 「花は」  聞かれた意味がわからなくて黙ってたら、樹が続ける。 「誰かと付き合ったことあんのか」 「な……」  無いけど!素直に認めたくなくて、唇を噛んだ。  樹にはバレバレだよね。なんかニヤニヤしてる。殴りたい。 「よかった」 「……なにが」 「花が誰のものにもなってなくて」 「なによソレ」  悪かったですねー、モテなくて。  私だって人並みに恋とかしたかった。  でもさー。ハイスペック男子を見慣れてる目には、他の男子が色褪(いろあ)せて見えるのよ。  つまり。私が恋もできないのは樹のせい。  情けなくて俯いてたら、樹が私の左手を握った。  半分乾いたオレンジジュース。  ベタついた私の手のひらに、樹が唇を寄せる。  夢でも見てるみたいだった。  目の前の光景が他人事に思えた。 「……甘い」  樹の声で我に返る。  手のひらに残る柔らかな感触。  その手のひらで。  私は樹の頬を力一杯、叩いた。  後のことはよく覚えてない。  午後の授業はきちんと受けた……と思う。  気づいたら家の玄関の前にいた。  帰巣本能(きそうほんのう)というやつか。  鍵を開けて、誰もいない自宅に入る。  扉を閉めた瞬間にスマホが鳴った。  新着メッセージ1件。  相手の名前だけ確認して画面を閉じた。  そしたらまた着信音が響く。  それも何回も。 「……しつこい!」  根負けしてメッセージを確認した。  それは謝罪と、私にも謝罪を求める内容だった。  殴ったのは私も悪かったと思ってる。  でも原因を作ったのは樹。 「……絶対に謝んない」  私の負けず嫌いは樹も知ってる。  いつも先に謝るのは樹だった。  だからきっと。  今回も負けない。  喧嘩腰で返信を打ち始めた私の目に飛び込んで来た新しいメッセージ。  それはシンプルで、まっすぐなひと言。 『愛してる』  私はスマホを握り締めたまま座り込んだ。  左手から、まだ微かに香るオレンジ。  悔しいけど、この勝負。  たぶん私の負けだ。 【 完 】
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