milk ver・同棲前

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milk ver・同棲前

歩道を歩きながら通話する玉城に、頭上から数枚の花弁が降り落ちた。視界に侵入したそれに顔を上げ、澄み渡った青空を背景にしたのは淡いピンク色。 「なんか桜咲いてるんですけど」 驚きのあまり会話の内容を無視して発言すると、耳元で微笑が聞こえた。 「そりゃ咲いてるよ。もう三月の終わりなんだから」 笑い混じりの悠太朗に指摘され、確かにそうかと今日の日付を思い出す。なんとなく歩いていたけれど、肌を撫でる風も、降り注ぐ日差しも随分と柔らかくなっていた。 「最近ずっと仕事で篭ってて、コンビニとかスーパーに行くのも夜が多かったから気付かなかったです」 春が特別好きな理由はないが、この穏やかな陽気を見過ごしていたと考えると少しだけ勿体無い。特に桜は旬が短いので、もたもたしていればあっという間に見頃を終えてしまう。 「この後空いてたら花見でも行く?ほら、ちょうど川沿いの所が満開だってニュースで言ってたから」 そんな提案に玉城の歩調が緩んだ。今日は会う約束をしていたわけではないし、たまたま通話をしていただけ。それが久しぶりのデートに変更だなんて予想もしていなくて、無意識に浮き足が立った。 生憎この後は少しばかり野暮用があるので、現地集合という約束で通話を切った。急いで用事を済ませ向かった川沿いの桜並木は、悠太朗が言っていた通りちょうど見頃を迎えていた。屋台も立ち並び、多くの人々が花見を楽しんでいる。 「悠太朗さーん」 向こう岸に見慣れた姿を見つけ、玉城は大きく手を振った。すると、こちらに気が付いたらしい悠太朗も軽く手を上げる。辺りを見渡しても近くに橋はなさそうで、玉城は川を横断するように並んだ飛び石に乗った。 「ちょっと、玉城くん危ないって!」 「大丈夫、だいじょーぶ!落ちてもどうせ浅いから!」 心配を叫ぶ悠太朗に笑って返し、一歩、また一歩とテンポよく飛び移る。しかし、最後の一段となった時、飛ぶ勢いが余った玉城は均衡を乱した。 「わっ…!」 声を上げた直後、伸ばした腕に抱えられる衝撃があった。瞑った目を開き、悠太朗の顰めっ面を至近距離で捉える。 「いっ、た…やば、本気で腰やるかと思った」 「す、すみません…。大丈夫ですか?」 「大丈夫だけどさぁ」 ほら言わんこっちゃない、と語尾に付けんばかりの物言い。玉城も少し靴の先を濡らしたくらいで、特に怪我はしていなかった。隣で女性が川に向かって言葉を投げる姿を見て、振り返った先には玉城と同じく飛び石で川を横断する子供がいた。どうやら考えることは皆同じらしく、二人は目を合わせ笑い声を発する。 「屋台見て回ろうか」 上を指した悠太朗に頷き、玉城は階段へ足を向けた。お祭りや野外イベントで売られる料理は、どうしてこんなにも美味しそうに見えるのか。目移りする中から選んだ物を手に座る場所を探していれば、食器や置物を陳列した店の前に寝転がるサビ猫が目に入った。 「悠太朗さん。猫いますよ、猫」 「ほんとだ。首輪してないけど、毛並み綺麗だしここの飼い猫かな」 体を持ち上げた猫は少しばかり警戒する素振りを見せた後、近くに屈んだ悠太朗の足に絡んだ。その大きな掌に擦り寄り、ごろごろと鳴る喉は随分と人懐っこい。 「君は商品の食器も倒さずお利口だなぁ」 「倒されたことあるんですか?」 「え?まぁ……そうだね。いや、戸棚開けっ放しな僕が悪いし、猫たちが怪我しなければカップの一つや二ついいんだけど」 その物言いからして恐らく何度か被害に遭っていると思われる。それでも怒る素振りを見せず笑う横顔が、何となくらしさを感じた。 「今まで陶器とか耐熱グラスしか買ったことなかったけど、こういう焼き物もいいな」 悠太朗は商品のマグカップを一つ手に取り、持ち心地を確認するように中を覗く。裏側の底には猫の肉球が一つ模様として描かれており、どうやらこの猫は看板猫な可能性が高いと玉城は思った。 「俺もこういうの好きです。なんというか、温かみがあって」 「だよねー。コーヒー用に買おうかな。どの色がいいと思う?」 「俺はキャメルとか好きですよ」 「キャラメル色?」 「キャメルです。濃いめのベージュみたいな。でもコーヒー入れる前提なら、このブルーグレーとかカーキの方が美味しそうに見える気がします」 「じゃあ、それにする」 悠太朗は玉城の意見を聞き、二色のマグカップを一種類ずつ手に取った。 「二つ買うんですか?」 洗うのを面倒がって、やたらとマグカップを持っている玉城が言えたことではないけれど、一人暮らしでそういくつも必要だろうかと。そんな意味合いの問いに、悠太朗は不思議そうな面持ちの玉城を一瞥した。 「君の分」 「え?」 「君が来た時の分だよ。僕の家に置いておこうと思って」 ぶっきらぼうに言い放たれたその意味を理解するには数秒ほど時間を要し、玉城は気恥ずかしさから言葉を詰まらせた。 「やめてください、そういうこと急に言うの」 「君も外でそういう可愛い顔するのやめて」 「いや、どんな顔だよ。大体そっちが……」 そこまで言いかけると同時に立ち上がった玉城は、店の奥に店員らしき女性がいることに気が付いた。不意に視線が合い、どこから会話を聞かれていたのか、にこりと微笑むその意味はなんなのかと必死に思考を回す。 「か、買うなら早くしてください。さっき買ったタコ焼きが冷める」 「なんでそんな突き放すのさ。どうせ恥ずかしいだけのくせに君はいつも……」 立ち上がった悠太朗も店員の存在に気付いたらしく、そこで口を閉ざした。第三者からすれば目も当てられないやり取りに、全てこの春の陽気に絆されただけなんて言い訳は有効だろうか。
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