milk ver・同棲後

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milk ver・同棲後

いつもより遅く帰ったにも関わらず、明かりが点いている部屋に違和感を覚えた。リビングへ向かった悠太朗の目が真っ先に捉えたのは、ダイニングテーブルに突っ伏する恋人の姿。同棲を始めてまだ数ヶ月だが、そんな光景を見たことは一度もなくて、足を進めた所で床に落ちた酒の空き缶を蹴る。 「玉城くん?」 肩に触れても起きる気配のない状態に背筋がヒヤリとし、救急車の存在が過った。しかし、間も無くしてその頭はゆっくりと持ち上がる。 「悠太朗さん…?」 気の抜けた声に名前を呼ばれ、安堵したのも束の間。姿を目に映すや否や嫌悪の色を滲ませ、肩に乗った悠太朗の手を払った。 「今日は随分とお早いお帰りですね」 「え?」 これでもかと嫌味の盛られた言葉を突きつけられ、悠太朗の口からは間抜けな声が出る。更に言えば現在は日付も変わろうかという、深夜も深夜の時間帯だ。 「お早いって、もうわりと遅いけど」 「あんまり遅いから、新店の店長と今頃いい感じになってるのかと思ってましたぁー」 こちらの話も無視で文句を言われ、今日の仕事内容を他人事のように思い浮かべる。 新店のオープンに伴い、三号店の店長と打ち合わせなんて今回が初めてではないし、過去に文句を言われたこともない。 けれど、職種の違いからなかなか都合が合わず、同棲とは名ばかりでまともに顔を見ない日すらあるのが現状だった。 「ま、別に俺には関係ないですけど」 言い捨てるような物言いで、玉城は新しい缶のプルタブを捻る。 「待て待て。もうやめときなよ」 完全なヤケクソモードに悠太朗はその手を掴んだ。普段殆ど酒を飲まない人間が急にアルコールを摂取するなんてのは明らかに危険で、それは玉城の体を案じてのことでしかなかったのだけれど、酒を止められた本人は更に不服そうに眉を寄せた。 「何でまたそうやって意地悪言うんですか」  「意地悪じゃなくて…。ほら、片付けといてあげるから早く寝な?」 「やだぁ!今日は悠太朗さんとヤるって決めてゴムも買ってきたんですー!!」 「こんな酔ってて出来るわけないだろ?!いいから寝なさい!」 酔っ払いの対処に困り、つい悠太朗の声量も上がる。この場合、我儘を言う子供と表現した方が近いだろうか。投げつけられたコンビニの袋がひっくり返り、ゴムの箱が床に散らばった。 まだぐずぐず言う玉城を何とか押しやり、悠太朗は漸く静かになった部屋に息を吐く。今のやりとりでどっと疲れが増え、時間も時間なので自分も早く寝ようと、テーブルを適当に片付け風呂を済ませた。 しかし、向かった自室でまたもや溜息が出る。 (ここ、君の部屋じゃないんだけど) 悠太朗のベッドに我が物顔で潜り込んだのは、先程見送ったはずの玉城だ。 基本的に在宅仕事の玉城は仕事部屋が必要であるし、帰宅時間や就寝時間が各々で異なるため、二人は同棲を始めてもそれぞれの部屋で寝ていた。ベッドの側に屈み、据え膳にどうしてやろうかと考えていると、暗闇の中でゆっくりと薄目が開く。 「………って、言ったら…笑います?」 「ん?」 「寂しかったって、この歳で…。でも、だって最近全然会ってない。一緒に住んだら毎日じゃなくても、もっと会えるんだと思ってた……」 「そんなこと思ってたの?普段はそんな感じ少しも見せないじゃん」 「それは恥ずかしいから」 「今も相当恥ずかしい気がするけど」 口の端に微笑を滲ませて指摘すれば、そっかと玉城は納得を呟き夢に落ちた。 (だからそこで寝るなよ) 心の中で文句を言うが、珍しい恋人の姿に悪い気はしない。今夜はベッドを交換で過ごそうかと覗いた玉城の部屋では、部屋の主がいないそこで広々と寛ぐ猫の先客。 行き場を失った悠太朗は、仕方がないのでクローゼットから毛布を引っ張り出し、ソファで夜を明かすことにした。 明け方、コソコソと動き出した物音に顔を向けると、キッチンに立つ背中を見つけた。 「早いね」 欠伸を噛み締め投げた言葉に、玉城は徐に振り返る。 「すみません、ベッド…と言うか部屋を間違えたみたいで。正直飲んでる途中からもう記憶がないんです」 玉城は襟足を摩りながら、申し訳なさそうに項垂れた。酒が過ぎると記憶が飛ぶなんてのは、悠太朗とよく似た酔い方だ。吐き気を催さないだけマシかもしれないが。 「悠太朗さん、俺が飲んでる時にもう帰ってきてました?」 「途中でね。宥めて寝かしつけるの大変だったなー。今から抱けとか駄々捏ねるし」 軽口に昨晩のことを話すと、玉城がパチリと目を瞬かせた。そして疑心を混ぜて苦笑する。 「いや、流石にそれは嘘でしょ。話盛りすぎじゃないですか?」 「嘘じゃないって!」 「えー?」 「ほんとほんと!挙句袋ごとゴム投げつけられたぐらい!」 「はいはい、そうですねー」 「嘘だろ?!待って、それは納得いかない!寂しいとか言ってたの紛れもなく君だから!第一、泥酔したらデロデロに甘くなって誰彼構わず甘えるだろ!!前に仕事の飲み会で一緒になった男の漫画家とキスしたの、知ってるんだからな!」 「は?!違っ、あれは相手の悪ノリで…!てか誰にそれ……まさか西尾先生ですか?そうだ、絶対そう!」 話の根本など忘れて、早朝に似つかわしくない言葉が飛び交う。数秒後、久々のまともな会話がこれかと笑ったのは、果たしてどちらからだったか。 恋人同士の口論は猫も食わず、間延びした鳴き声が遠くで聞こえた。
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