高草悠太朗・過去編

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高草悠太朗・過去編

悠太朗が入学した高校には、一本道の桜並木があった。左右に植えられた桜は本当に見事で、本当に儚く、思わず上を向いてしまう。 しかしその存在は綺麗というだけではなく、時として弊害も生じていた。 (また花びら入ってる) 靴の中に入ってしまったそれを見て、悠太朗は小さな溜息を一つ。開け放しの昇降口から入り放題の桜は廊下の方まで舞い込み、下駄箱が一番下だと花弁の侵入を防ぐ術がない。 桜は好きだし春も嫌いではないけれど、毎回となると少し厄介だ。靴を裏返し軽く地面に打ち付ければ、数枚の花びらが翻った。 桜の命は短いのでこれも数日の我慢かと、空にした靴に足を入れて校舎から出ると、地面に膝をつくココア色の髪を見つけた。それも這うに近い体勢。もしや体調不良だろうか。声をかけた方がいいだろうか。 しかし、それらが全て勘違いで本当は何でもなかったら、恥をかくのは悠太朗かもしれない。そんな風に悩み声をかけられずにいると、屈んでいた相手が上半身を起こした。反射的に一歩後退りをした悠太朗の靴と地面とが擦れ、近くの茂みが揺れる。 「あっ」 同時に相手の口からも声が洩れ、駆け出した猫を二人は見送った。その手に握られているのは携帯電話で、どうやら撮影の邪魔をしてしまったのだと理解する。 「すみません」 「いいって、こんな所にいたの俺だし」 相手は膝の砂を軽く払い、溌溂と笑った。 「あと、敬語じゃなくていいよ。同じクラスなんだから」 「え?」 衝撃的な事実に悠太朗は目を丸くさせた。先輩だと勝手に思っていたのだ。背丈は悠太朗より低いけれど、染髪やピアスで飾られた容姿は中学校を卒業したばかりとはとても思えない。簡潔に言うならば、とても似合っていた。 「お前、入学式でも頭一つ出てたからすぐ顔覚えられて……あっ、てかさぁ、話変わるけど選択科目のお知らせみたいなプリントあったじゃん。写真撮った?」 「選択科目?掲示板に貼ってたやつ…?」 「それそれ。よかったら送ってくんない?俺撮り忘れちゃったんだよねー」 携帯電話を示す相手に慌ててポケットを探った。交換した連絡先へ写真を送り、入学して初めて交換したそれに少し感動する。悠太朗は同じ中学校から進学している人がおらず、どう話しかければいいのかずっと悩んでいた。 「サンキュー、助かったわ。お礼にこれあげる」 差し出されたのは棒付きの飴で、掌をころりと転がる。何とも可愛らしい好みだと思った。 「んじゃ、また明日」 「あ、うん」 手を振る相手につられ、悠太朗も軽く手を持ち上げた。 (………陽キャだ) 連絡先に登録された名前、柴田壮真の文字に視線を落とし、心の中でぽつりと呟いた。 初対面でも相手の目を真っ直ぐ見て話し、淀みのない接し方、フットワークの軽い会話。自分とは別次元を生きる人種だと思った。包装紙を捲り咥えた飴はどこまでも甘い、コーヒーとミルクの味。 翌日、登校した教室には数人のクラスメイトと談笑する彼の姿があった。柴の愛称で呼ばれ、いつも誰かしらに囲まれる様はやはり硝子を隔てた別世界だった。 次第に悠太朗にも親しい友人が出来、たった一枚の写真を送っただけの連絡先がそれ以上更新されることはなかった。そして誤って携帯電話を水没させた時には、もう交換したことさえすっかり忘れてしまっていた。 二学年、三学年と学年が上がっても尚、同じクラスの中心にいた柴を悠太朗が好きになったのは、憧憬と羨みの延長線上にあった。自分にはない何もかもが眩しくて、羨ましい。 そんな彼だから、委員会の中でも比較的地味な図書委員に立候補した時には、同じ委員だった悠太朗は少なからず意外に思った。 「悠太朗この本どこの棚に戻せばいい?」 柴が持つそれに、悠太朗は放課後の図書室をくるりと見渡した。 「それは文庫本だから…あっちの低い棚」 「これは?」 「文集はあっち」 「凄、お前全部覚えてんのな」 パッと咲く笑みを前にして、悠太朗ははにかむのが精一杯。斜陽が眩しいふり、棚に本を探すふりで目を細め、緩む表情を誤魔化す。会話のない二人きりの空間で、背表紙を撫でる柴の指先が徐に止まった。 「悠太朗って好きな子いるの?」 柔らかそうな癖毛が振り返り、野球ボールの打たれる高らかな音が耳の奥に響いた。その残響を追いかける吹奏楽部の演奏。換気の為に開けた窓からふわりと風が吹き込み、わけもなく切なくなった。 「いないよ」 心臓の早鳴りを気付かれまいと、必死に声色を繕って返事をした。好きな人の有無を問われる質問は十代の耳には酷く甘い。 体育祭でビブスを裏表反対に着るような少し抜けた所も、寂しがりで誰かと一緒にいたがる所も、いつの間にか目で追っていたというのに、肝心の言葉が出てこない。 もしかしたらに期待するくせをして、その同じもしかしたらを危惧して一歩が踏み出せなかった。 「そっかー」 間延びした稚い声が流れ、恋心を悟られなかったことへの安堵と僅かな落胆に苛まれた。恋人がいる相手からの何気ない質問に、どうして少しでも期待をしてしまったのだろう。 委員の仕事を終え、一人の女生徒と並んで帰る柴の背中から、悠太朗は目が逸らせなかった。昇降口の向こうでは葉桜に近い桜が風に揺れ、青く苦い春の匂い。悠太朗は下駄箱から取り出した靴を裏返し、今年も地面に花びらを散らせる。
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