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西尾啓介・過去編
仕事帰りの途中、西尾は繁華街に佇む顔見知りを見つけた。居酒屋が多く立ち並ぶ雑踏のど真ん中で、こちらに気付いたらしい相手は、まるで逸れた一羽のウサギのように振り返る。西尾の記憶では確か彼は未成年で、現在の時刻からして補導の対象に当たる。
どうしてこんな飲み屋ばかりが密集した区域にいるのかと疑問を抱いたけれど、繁華街の煌々とした看板に照らされた玉城は寂寥と空漠を混ぜ、以前と異なる雰囲気にこのまま立ち去ってはいけない気がした。
「君……夕飯、食べた?」
咄嗟にそんな突飛した質問が出たのは、西尾なりに動揺した結果だ。玉城は目を瞬かせた後、無言で首を横に振る。
「俺もこれからなんだけど、一緒に来る?」
「でも僕、今は携帯ぐらいしか……」
「学生に出させるわけないだろ。奢ってあげるからおいで」
今まで腕を買った若手のクリエイターによくはしても、プライベートで食事に行くことはあまりなかった。誘われたことが嬉しかったのか、パッと表情を明るくさせた玉城の素直さが、西尾にはやけに眩しく感じ目に染みる。未成年を飲み屋に連れるのは流石に気が引けて、無難に有名なラーメン屋へと入った。
「はい、野菜ニンニク大盛り油増しの方。あと餃子ね」
「わーい、いただきます!」
食券を購入後カウンター席に並び、間も無くして出てきた料理。西尾も平均より食べる自覚はあったが、食べ盛りの若者を前にすると自身の年齢を痛感した。見ているだけで胃もたれしそうなそれに玉城は箸を取り、山盛りの野菜を口に詰めては麺を啜る。
「んぅーまっ…!やば、この時間に食べるラーメン美味すぎ!」
「君、見た目のわりに結構食べるね」
「え?あ…すみません、人にご馳走にしてもらってる身で遠慮なく注文してしまって」
「そういう意味じゃないよ。好きなだけ食べなさい。なんて言ったって稼いでるから」
「あははっ…!流石、有名な先生は言うことが違いますね!」
無邪気に笑う玉城の横顔には先程感じた複雑な色はなく、自身の見間違いだったのだと思った。
けれど、食べ進めるうちに暑くなったのか、パーカーの襟元を引っ張り覗いた玉城の首筋に西尾は箸を止める。見せつけるようにありありと付けられた鬱血痕。一つには止まらないそれを生々しく思いながらも、本来なら然程おかしな話でもない。西尾が知らないだけで、玉城に恋人がいるということだ。
(でも、こんな時間にあんな所で…?)
未成年の恋愛にしては玉城を見つけた場所は些か違和感があった。補導対象の時間に繁華街、持ち物は携帯電話のみ。あまり真っ当な関係性が連想出来ないのは、西尾が有邪気な大人だからだろうか。
「先生、麺伸びますよ」
そんな指摘で西尾は掬いかけた麺を思い出し、不思議そうな玉城の横で食事を再開した。聞こうか、聞くまいか。悩む最中に深入りする選択肢があることに西尾は驚いた。
玉城の作品は好きだし一緒に仕事もしたけれど、私生活に口出しする程の仲でもない。面倒ごとは素通りするに限る。そんな考えが浮かぶ傍らで、何を思って深入りする選択肢を並べたのだろう。覗き込まれた時の顔には不覚にも心臓が鳴って、こんな子供相手に、それも同性に何を考えているのだと思考を掻き消した。
「誘っておいて言うのもなんだけど、未成年がこんな時間に外出は危ないからやめなね」
混乱した末に出たのは、そんな大人ぶった忠告だった。玉城は西尾の言葉に表情を変えず咀嚼を続け、飲み込んだ後にゆっくりと口を開いた。
「僕、二十二ですよ」
「は?」
「先生と初めてお会いした時には既に成人してます」
苦笑気味に告げる玉城に、西尾の頭はすぐに追いつかなかった。しかし、理解すると同時に笑い声が洩れ、成人済みならいいかと安堵した。
「もしかして、未成年を保護する感覚で声をかけてくださいました?」
「いや、うん……まぁ、そんな感じ。ごめん、君ぐらいの年の子はみんな同じように見えて」
これは強ち間違いでもないのだが、今回に関しては明らかに玉城の幼さを残した顔立ち故だった。青年の青さに無邪気さを上手く溶け込ませ、良くも悪くも若く見える。
(そうか、成人してるなら別に……)
そこまで心の内で呟き、西尾は疑問符を浮かべる。先程も感じた、成人済みならいいかという安堵。子供でないなら何がいいのだろう。夜遅くに繁華街を歩いていたことか、肉体関係に値段をつけるような相手がいるかもしれないことか。
それとも、目の前の青年に向けた、この鼓動の速さだろうか。
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