33人が本棚に入れています
本棚に追加
milk ver・同棲後
ソファに仰向けで寝転がる悠太朗は、小脇に愛猫を抱えていた。携帯電話を弄る視界に影が差し、視線を向けた先の玉城がだいずを抱き上げ床に放つ。降ろされた彼は不満そうな鳴き声を一つ上げ、そそくさと走り去った。
「ちょっ、なになに。重い重い」
代わりに乗りかかってきた恋人に、悠太朗は思わずその下から這い出るようにずり上がる。すると、今度は抱擁を避けられた玉城が不満そうにした。
「重いってそんな、酷い」
「いや、大の大人が猫の体重と同じ感覚でこられても」
抱きつかれるのが嫌だとか、貶しているわけではなくて、背丈のある男に乗られるとただ単純に重い。そんな真っ当な意見に玉城は反論せず、しかし退いてやるつもりもないらしい。
「明日予定あります?」
「予定?特には」
肩に枝垂れる腕に気を取られ、されるがままキスを受け入れた。湯上がりのまだ湿った玉城の髪から、仄かにシャンプーが香る。
「ねぇ、一昨日もシたくない?」
「嫌なんですか?」
「嫌ではないけど、そうじゃなくて…」
夜の誘いにしどろもどろと言葉を濁すが、こちらを見つめる玉城の目に悠太朗は隠すことをやめた。それでも溜め息の一つはつい溢してしまう。
「言っておくけど僕、今年で三十代折り返すんだよ」
「だからもう枯れたと?もしくは三十路の俺の体では勃たなくなりました?」
「そうじゃなくて!なんと言うか、そう頻繁にシてると腰をやりそうで怖い」
なんとも色気のない、情けない理由に悠太朗は逃げ出したくなった。身長が高いと腰を痛めやすいと聞くし、普段が立ち仕事なのもあってか、実のところを言うと過去に軽く痛めかけた経験がある。
「俺が動くからー!一回だけ!」
「そう言って一回で終わった試しないじゃん。僕にも非はあるけど。それに君ちょっと酔ってるだろ」
「酔ってないですよ」
「嘘つけ。例の、あの……西尾先生、だっけ?外でご飯食べてきたんでしょ?」
「酔ってない」
「どれだけ飲んだの?」
「ちょっとだけ」
「酔ってるじゃん」
まるでコントのようなやり取りに微笑し、引くつもりのない恋人の抱擁に悠太朗は絆され始める。酒が入ると抱かれたがる玉城の性格を不思議に思いつつ、一回だけと強請る姿は正直心が擽られる。移動したベッドで満足げにキスをする玉城に、勃たないということもないのだ。
「ん、はぁ…やば、腰にクる……」
自身の上で緩く腰を振り、恍惚と息を吐く玉城に悠太朗はふと思った。それを口にすればきっと呆れられるだろうけれど。
「顔が良い人間にそれ言われると生々しいね」
「なにわけの分からないことを…。悠太朗さんは俺に夢見すぎです」
案の定呆れられ、興奮している現状にどの口が言うのかと、最もな発言すら続けられた。
「ぅ、ん…ねぇ、もいっかい…」
お互い一回果てた直後、玉城はキスをする最中に甘えた声で愁う。悠太朗はその顔に、その声にどうしようもなく弱い。不覚にも可愛いと思ってしまった。これはもう抗いようのない惚れた弱みだ。
「玉城くんさぁ…。こういうこと誘われるのは嫌ではないけど、自分である程度調整出来ない?ほら、ネットで物とかも買えるわけだし」
たかが五歳差、されど五歳差。悠太朗も決して体力がないわけではないが、定期的な運動をする三十代なりたてに付き合っていては身体がいくつあっても足りない。
「でも、じゃあ…誰がキスしてくれるんですか」
「え?」
「ぎゅーってしてくれないじゃん」
不貞腐れた物言いに拗ねた顔を隠すこともなく、悠太朗は持て余した愛おしさに閉口した。素面だとそうでない反動か、酒に飲まれ際限なく甘えたなこの恋人をどうしてやろうかと。
「待って、恥ずかしいからやっぱり今のは……」
酔いが浅いからか理性を働かせ始めた玉城を、今度は悠太朗がシーツに沈めた。
「もう聞いちゃったから撤回は駄目」
玉城には自分の発言に責任を持って愛されてほしいと思う。重なった相手の体温に理性が溶け、悠太朗の人前に出る仕事を気にしてか、首に触れた唇が躊躇っているのに気が付いた。
「いいよ。明日休みだから」
痕を残すなんてキスの仕方を知らない悠太朗からすれば、玉城は実に器用だ。指輪を嵌めた左手が襟足を撫で、そこはかとなくこそばゆい感覚。明日は二人揃って昼頃まで起きないかもしれないと、悠太朗は溺れる心の隅で思った。
「君はいつまでそうしてるつもり?」
翌朝のベッドで、膝を抱えた玉城は布団に立て篭ったまま。完全に酔いが覚め、昨晩の言動を醜態と勘違いした恋人に悠太朗は息を吐いた。そして布団の中に手を突っ込み、まるで猫をそうするかのように両手で引き摺り出す。
「コンビニ行くから起きて。君は仕事あるんでしょ?」
「俺が寝てる間に行ってくれた方が恥ずかしくなかった…」
「いいから起きる。ほら、見送ってよ」
そう言って部屋を出た悠太朗は、去り際に疑問符を浮かべる玉城の顔を見た。お互い見送りや出迎えの挨拶はするけれど、三つ指立ててのそれをしたことはない。財布と携帯電話を持って向かった玄関で靴を履いていれば、背後で裸足とフローリングの擦れる音が立ち止まった。
「急に改まってどう……」
現状に質問を投げかける恋人を振り返り、悠太朗は両手を広げる。
「なに?」
「ぎゅーって」
「え……はぁ?!」
ぶわっと顔に熱が集まるのが見て分かり、反射的に後ろへ体が引かれる。しかし、腕の中に収めた体は存外素直で、すぐに大人しくなった。
「普段こういうことしないから酔った時に爆発するんだよ」
「だ、だからって…」
「わざわざ玄関まで出てこなくても、たまたまそこにいた時だけでいいてからさ。出かけ際にキスの一つでもあっていいんじゃない?」
そんな問いかけの先で触れるだけのキスをして、洋画でしか見たことのないようなワンシーンに思わず微笑してしまう。
「ベッドの上でなくても抱きしめてあげるし」
「それ掘り返すのやめてください」
毛先も触れそうな距離感で玉城が項垂れた。正直な話、気恥ずかしいことこの上なくて、朝からこれは心臓に危ない。けれど、存外悪い気はしないなんて。そもそも生活サイクルがすれ違うことも多い二人だが、後日、出勤の準備をする悠太朗の傍らに、カフェラテを片手にのんびりテレビを眺める玉城がいた。
「じゃあ、行ってくるねー」
「んー」
悠太朗の声を気の抜けた相槌が追う、いつもの光景。しかし、不意に掴まれた手に足が止まり、振り返った先で唇が重なった。
「いってら」
微睡みを残した玉城の目が微笑み、半ば溶けた声が手短に見送る。まるで、混ぜきれずカフェラテの底に溜まった砂糖を飲んだ心地だった。喉の奥に絡まる甘さに眩暈がして、やはり朝からこれは糖分の過剰摂取だと確信した。
最初のコメントを投稿しよう!