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milk ver・同棲後
悠太朗が勤務するカフェは支店で、もう少し都心寄りに本店がある。その本店の店長から食事の誘いをされたのが数日前。同棲中の玉城にも遅くなると伝えたのだが、食事の本当の意味を知ったのは飲食店に到着した時のことだった。
「清水さん、まさかこれって合コン的なアレじゃないですよね?」
堅苦しさはないながらも清潔感のある店を前に、悠太朗は恐る恐る問いかける。そして食事の面子は男女が各三人ずつとのこと。入店直前の質問に振り返った清水は、にこりと微笑み悠太朗の腕を掴んだ。
「細かいことは気にするな」
「いやいやいや、僕に恋人がいるのご存じですよね?!」
「あっちは悠太朗が同棲中なのも知ってるし、ただ飯を食いに来ただけだと思ってくれていいから!頼むって!!」
つまり人数合わせなのだろうが、だからいいというわけでもない。玉城の存在は恋人としか言っていないので、恐らく異性だと思われているのだろう。なんとか途中で抜け出せないかとも考えたが、上司がいる中で途中離脱というのは流石に気が引けた。
「悠太朗さんはお酒飲まないんですね」
いくらか時間が経った頃、烏龍茶のグラスを持つ悠太朗に一人の女性が問う。
「普段からあまり飲まなくて、酔うとどうなるか分からないので」
「彼女さんも飲まれないんですか?」
きっと悪気はないその質問に、頬の端がピリつくのを感じた。どうしようもないと理解しているはずが、悠太朗は愛想笑いが上手く出来ているかすら分からない。ここにいることが酷く窮屈に思え、解散後に漸く力が抜けた。そのままなんとなく足早に帰路へと着き、電気の点いた部屋に入るとキッチンに玉城が立っていた。
「お帰り」
「ただいま。今から夕飯?」
「そうなんですよ。切りのいい所まで描いてたら遅くなっちゃって」
そう言いながら玉城はインスタントラーメンの袋を開ける。よく考えれば店ではあまり食べておらず、悠太朗は急に空腹を自覚した。
「僕も食べようかな」
「外で食べて来たんじゃないですか?」
「締めのラーメンは別腹かなって」
いつもと違う空気感を感じたのか、玉城はそれ以上何も言わずインスタントラーメンを一袋追加した。特別手作り感の強い料理ではないけれど、その飾らない光景が悠太朗を妙に安心させる。
「えっ、合コンだったんですか?」
調理する玉城の横に立ったまま成り行きを話せば、驚いた声が少しばかり響いた。
「だったらしい。全然知らされてなくて…。恋人と同棲中の人間なんて合コンに需要あるのかな」
「同棲して数年経っても結婚してないってなると、倦怠期とか関係の冷めを疑って、ワンチャンあるかもって思考なんですかね」
「結婚出来るならとっくに君にプロポーズしてるんだけど」
半ば無意識下でした発言の後、静まり返った空間に悠太朗は意識を浮上させた。余計なことを口走ったと思った。日本では認められていないそれについて言及しては、皮肉と捉えられても仕方がない。
「ネットでもたまに理想のプロポーズの記事とかあったりしてさ、なんか夢があっていいよねーって思ってて…!玉城くんは理想のシチュエーションとか……」
悠太朗はなんとか沈黙を誤魔化そうとするが、考えれば考える程余計な言葉ばかりが出る。隣の表情を伺う勇気はなくて、IHコンロのスイッチが切られるのを横目に見た。玉城は二つ並んだ器に麺を移し、菜箸を鍋に突っ込んだまま元の位置へと戻す。
「はい。悠太朗さんの分」
「ありがと」
受け取った器と箸を持ち、向かい合って座った食卓はいつになく静かだった。苦し紛れに点けたテレビのバラエティ番組から流れる明るい談笑が、悠太朗にはなおのこと虚しい。
「悠太朗さん、また小難しいこと考えてません?」
鋭い指摘に悠太朗は動きを止めた。そして口の中にある物を飲み込み、纏まらない思考の中で言葉を探す。
「男女の恋人同士なら諦める必要のないことを、君に諦めさせてるような気がして…」
「結婚の話?」
「とか、子供とか。その他にも色々」
卑屈なことは言いたくないのだけれど、この世界は異性同士に有利な力が働いている。生物学上で無理があることは自然の摂理としても、それ以外の所でどうして選択肢を奪われなければならないのか。
「俺の姉さん、結婚して子供がいるんですけど」
唐突に始まった話題に、悠太朗は無言で顔を上げた。
「姉さんは仕事を続けたかったけど、子供が出来て退職をしました。姉さんの旦那さんも育休の申請を出しましたけど、通りませんでした。男女の夫婦であるにも関わらず、二人ともが何かを諦めたって話です」
玉城はまるで世間話でもするかのように、そして軽々しくはない面持ちで言った。食事をする様子は普段と変わらなくて、きっと特別な話をしているのではないと思った。この世に散らばった数多くの日常を話している。
「実際は悠太朗さんの言う通り、同性の方が融通が利かない気はしますけどね。一緒に住む部屋を探してる時だって、異性同士じゃないと入居が出来ない物件もありましたし」
「だよね」
それは悠太朗もずっと心に引っかかっていた。同性の恋人が認知されつつあると言いながら、公的な所は結局なにも変わらないまま。相手を愛しているという単純な理由であるはずなのに、複雑な許諾と理解を求めなければならない不可解さ。
「でも、明日自分が政治家になって、発言一つで法律が変えられるわけじゃないんです。自分たちがその時に出来ることをして、徐々に変えていけばいいと思います。結婚は終点ではなく通過点とも言いますし」
さも当然のように言ってのけた玉城に、悠太朗は間も無くして破顔した。確かにその通りだ。同棲や喧嘩と同じように、結婚も人生の途中にある通過点の一つに過ぎない。
「君は相変わらずかっこいいね」
「お陰様で。てか、俺の恋人が同性だってこと、知ってる人は知ってます」
「そうなの?」
「結婚云々の話題が流石に多すぎて、近しい人にだけ話しました。一人でいても、人間が二人揃ってもなんで外野はこうも喧しいんですかね」
辟易とした様子で言った玉城だが、すぐに自嘲気味に眉を下げた。
「まぁ、俺も前はそうだったんですけど。悠太朗さんに出会って、見えるようになったものがあるんです」
玉城と一緒にいると、この世界も存外悪くないと思えるのは何故なのだろう。悠太朗が不安を溢す時は真っ直ぐ目を見つめるくせに、気恥ずかしくなると逸らす愛おしさを狡いと思った。きっとこれも何個目かの通過点だ。秋の深まったとある休日に、玉城と出向いた赤レンガ倉庫の催事で、悠太朗はまた一つ通過点を見つける。
「あっ…佐久間くん?」
人混みの中に見つけたミルクティー色の髪。振り返った青年は悠太朗と同じ職場の社員で、隣には黒髪の同じ年頃の青年がいた。
「お疲れ様です」
「お疲れ様ー。凄い偶然だね」
コーヒーを扱う店を中心に集まったこの催事に、まさか佐久間も来ているとは思わなかった。隣に立つ青年は少し先に出店しているブースを一瞥すると、佐久間の腕を軽く引く。
「先行って並んでるわ」
「了解です。ありがとうございます」
そう言って歩き出した青年を、悠太朗はどこかで見た気がした。過去の記憶を遡り、職場であるカフェの常連客を思い出す。
「今の子ってもしかして…」
咄嗟に言いかけ、最後まで口にしていいものか迷った。すると、その意思を汲み取ったらしい佐久間が頷いた。
「俺の恋人で合ってますよ」
「そうだよね。佐久間くん、周りに言ってたっけ?」
「職場には言ってないですけど、隠してもないです。今のは悠太朗さんだから言いました」
それは信頼しているということなのか。そうならば悠太朗は単純に嬉しい。佐久間は人と深く関わらないタイプなので余計。
「佐久間くんって結構大胆だよね」
「そうですか?分かり合えなそうな相手なら全然嘘をつきますよ。そういう人間は俺の世界には必要ないので、表面上の付き合いだけで十分です。密な関係値なんてどうでもいいです」
清々しいまでの線引きに、隣の玉城が思わずといった風に吹き出した。
「やばっ、悠太朗さんの所のスタッフ強すぎるでしょ」
ケラケラと笑う玉城に、佐久間はいつもと同じ人当たりのいい笑みを浮かべる。悠太朗も長年一緒に仕事をしていて同じことを思うのだが、佐久間は羊のような柔らかい雰囲気をしている反面、その中身は実に淡白で芯がブレない。
「佐久間くんさ、自分が守るのは半径三メートル圏内って決めてるんだって」
佐久間と別れた後、お目当ての出店舗でコーヒーを買い、悠太朗は海が見渡せるデッキの柵に凭れて言った。
「どういうことですか?」
「自分の半径三メートル圏内にあるものは守って、それ以外はどうでもいいってスタンス」
「へぇー。でもそれって結構大切ですよね。自分のキャパを理解してるというか」
「そう。だから、みんなが半径三メートル圏内のものを守ったら世界は上手く回るのかなって思ったんだけど、案外そうでもないんだよな」
「難しいですね」
「ね」
悠太朗は短く相槌を打ち、少しだけ温くなったホットラテを傾ける。海辺の風に毛先を掬われ、玉城がアイスラテをストローで混ぜる氷の音がした。
「悠太朗さん」
「んー?」
「俺と結婚してくれますか?」
その瞬間、悠太朗の中で確実に時が止まっていた。徐に顔を向けると、視線に気が付いた玉城が淡く目尻を結ぶ。
「こ、このタイミングでそれ言う?!」
咄嗟に出たのは驚きの感情だけで、玉城の笑い声が後を追いかけた。
「前に聞いてきたのはそっちじゃないですか」
「え?」
「理想のプロポーズ」
そういえば少し前にそんなことを口走ったかもしれない。悠太朗は薄らと思い出したが、あの時は余計なことを言ったと焦っていたし、玉城を傷つけたとばかり思っていた。
「お望みなら横浜の夜景が見える最上階のレストランでも予約しますよ」
「え…なんか、気不味っ」
「分かります。俺も気不味いです」
なんとも自分たちらしくないと思った。たまの特別は悪くないけれど、変に畏まった所で緊張で疲れる気がしてならない。
「結婚出来るなら君にプロポーズしてるって言ってくれた時、悠太朗さんの日常に俺がいるんだなーって思って、嬉しくて…。だから何でもない朝とか、こうやってカフェラテでも飲みながらとか、これからも一緒にいたいねって感じで言われたいです」
風に揺れる悠太朗の横髪を避け、顔を覗き込むようにした玉城は凪いだ声で言う。嫌いな所や直して欲しい所だってあるのに、その体温を抱きしめるだけでは満足出来ない愛おしさを前にすると、悠太朗は全てが些末なことのように思える。
「じゃあ、明日の朝にでも」
「事前に言っちゃうんだ」
「あ、そうか…。なら今月のどっかとか」
「毎朝起きるたびに緊張しますね。悠太朗さんはどうな風に言われたいですか?」
悪戯に笑う玉城の問いに、悠太朗はぼんやりと考える。しかし、そこに玉城がいてくれるのであれば、特別な何かは要らないという結論に落ち着いた。悠太朗に出会って見えるようになったものがあると玉城は言うけれど、悠太朗はその言葉をそのまま返したい。
絶え間ない日々の中で、玉城は知らない世界を教えてくれる。
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