milk ver・同棲後

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milk ver・同棲後

梅雨入りの予報がされてから、小雨か雨の二択といった天気が続く中、久々の晴れ模様が広がった。その日は二人揃って休日だったので、溜まった洗濯物に朝から追われ、全てを干し終わる頃には太陽が頭上まで移動していた。 「よし、洗濯終わりー!」 悠太朗はベランダから戻って来ると、床で日向ぼっこをする猫の間に寝転がる。ちょうど掃除機を出したばかりの玉城は、床に増えた大きい荷物を見下ろした。 「掃除機通りますよー。邪魔でーす」 「いたっ」 掃除機の先で足を小突き不満を示すと、悠太朗が小さく痛みを訴える。猫は三匹とも掃除機の音を怖がらないので、移動しない彼らにはいつも手を焼いていた。 束の間の晴れ間を堪能するだいずが寝返りを打ち、裏返る白猫が一匹、黒猫が二匹、それから黒髪が一つ。 「なんかオセロみたい」 目の前の光景は懐かしいボードゲームを連想させ、玉城は無防備に見せられた猫のお腹を撫でた。悠太朗は寝転んだまま体の向きを変え、猫と戯れる姿を眺めた。 「玉城くんって手綺麗だね」 見つめてくるので何かと思ったら、唐突な指摘と共に手を取られる。悠太朗は飲食店で働いている上、玉城のようにハンドクリームを塗ったりしない所為でいつも手が乾燥していた。深爪気味の縁に小さなささくれが見られる時もある。それに比べたら玉城のは綺麗かもしれないが、言う程でもないというのが正直な感想だった。寧ろ、あまり好みではない。 「俺はあんまり好きじゃないです。ペンダコがあるし、筆圧でちょっと指が曲がってるんですよね」 イラストを描くから余計に思う。タコの所為でやや歪んだ指は全体的に見てもバランスが悪い。 「そう?指輪とか似合いそうじゃん。着けてるの見たことないけど」 掌をなぞり、絡む指の感覚に思わず手を強張らせた。悠太朗の乾いた指先は擽ったいと同時に、玉城を妙な気持ちにさせる。その触れ方が故意なのか無意識なのかは分からないけれど、意図的なものならこの上なく質が悪い。 「指輪なんてしたらそれこそ編集社の女性に…」 妙な感覚で思考力の落ちた玉城は、思わずそこまで口にしてしまった。言いかけたのは、以前担当の男性から知らされた、自身が女性社員に恋人候補として見られているという事実。しまったと思い口を閉ざしても、次の瞬間には絡んでいた指が手を強く握った。 「編集社の女性に、なに?」 「な、なんでもないです」 「まさかまた絡まれてる?」 「違う違う。本当になんでもないですから」 「そう言う時って大体いつも何かあるでしょ。いいから白状しなさい!」 「わっ…!」 悠太朗の起き上がる勢いのままカーペットへ雪崩れ込み、脇腹を擽る手に玉城の足が宙を藻搔いた。 「ひ、っ…あはは!ま、ちょっと待って…!手が、ふ、ぁははっ!!言う言う!言うから、待って…!」 必死に悠太朗の下から這い出ると、策略に成功した少年の顔がそこにある。これはもう白状するしかなさそうだ。荒くなった息に肩を上下させ、漸く落ち着いた頃に玉城は口を開いた。 「編集社の女性社員の間で、俺が優良物件として扱われてるって話を聞いたんです。だから俺に恋人がいるなんて知れたら、ロスが起きるからやめてくれって」 冗談だと思いますよ、なんて一応のフォローを付け加え悠太朗の反応を伺う。玉城は自分がモテるとひけらかすつもりはないけれど、事実として十五歳から大学生まで恋人が途切れたことはなかった。 少女漫画のヒーローとまではいかなくても、学生ぐらいの年頃だと多分それなりによく見えるのだろう。大人になればまたモテる条件は変わるので、今はどうか分からないが。 「今すぐ指輪作りに行こうか」 「言うと思った」 迫真の声で悠太朗が言ったのは、玉城が大凡予想していた内容。付き合い初めて数年経ち、同棲もしていて、恋人とお揃いの指輪を作ることに玉城も不満は全くない。しかし、正直利点も思いつかない。 「別に指輪なんてそんな物が何に……」 「〝なんて〟とかムードないこと言うなよ!猫とコーヒーにしか使い道のない給料なんだから、ここで使わないならどこで使えと?!」 悠太朗の熱弁に玉城は、大袈裟だなと乾いた笑いを洩らす。と言いつつも、自身に不満がないのなら、恋人の願望の一つや二つ叶えてあげたいのが本音で、次の休日には二人で店を訪ねた。 (指輪ぐらいで今更何か変わるってわけでもないのに、悠太朗さん意外とこういうの好きだよなー) 一ヶ月程経ち指輪が出来上がったと連絡があったので、急な呼び出しで職場へ向かった悠太朗を置き去りに、玉城は指輪を受け取りに行った。自宅で改めて開封したそれを嵌め、眼前に手を広げてみる。 その時、初めて悠太朗の気持ちがなんとなく分かった。これは利点とか、証拠とか、そんな無粋な話ではない。感情、心持ちの意味合いで案外悪くないと。 玉城は一人きり気恥ずかしさを感じつつ納得して、仕事をする為に自室の椅子へ座った。けれど、そこにはいつもと違う光景があり、動きを止める。電子ペンを持った手は常、視界に入る状況に気付いてしまった。 (これ、もしかして思ったよりヤバい物を作ってしまったんじゃないか?) 左手に着けたお揃いの指輪が恥ずかしいなんて、人に話せば惚気だと笑われる代物。話す相手もいないけれど、だからこそ玉城は余計にこの感情を持て余す。午後になって編集社へ出向くとなった時、左手の存在に頭を悩ませた。 「今から打ち合わせ?」 帰っていたらしい悠太朗に声をかけられ、靴を履いていた玉城は心臓を跳ねさせた。咄嗟に背に隠してしまった左手は、いつもの飾りっけがないまま。悠太朗の見つめる先に気が付き、気まずさから玉城は視線をずらした。 「着けて行かないの?」 「や、やっぱり恥ずかしいから仕事には…。着けてかないにしようかなぁーとか、思ったり」 「それじゃあ何のため作ったのか分からないじゃん。虫除けなのに」 「でも、ほらチェーン通して首から下げてるし」 ネックレスとして着けたそれを示すも、あまり納得が得られない顔をされた。そして間も無く、悠太朗は何かに気付いたらしい短い声を上げる。数秒前の拗ねた表情とは異なり、失態を犯したような面持ちで頭を掻く。 「ごめん、軽率だった」 「え?」 「恋人がいるって知れたら、僕のこと隠しきれないかもしれないよね」 項垂れる悠太朗の頭は過去にも見たことがあった。同性の恋人という存在に、西尾や両親が何も言わなかった為、世間の目を気にする悠太朗の癖を忘れていた。 幸せに浸りすぎて、前は度々引っかかっていた疑問すら念頭から離れ。 悠太朗と付き合い始めた当初の玉城は、何故、好きな相手に好きと伝える行為を、世間に妨げられなければならないのかと疑問に思っていた。そして今は、自分は誰に、何を許されたいのだろうと。 「悠太朗さんは、俺に同性の恋人がいると公表して欲しいですか?」 玉城の投げた質問を受け、悠太朗の眉が悲痛に歪んだ。こんな試すような物言いをしたかったわけではないのだが、それ以上の言い方が思いつかなかった。 「僕は……君の仕事に支障があるなら、言わない方が…」 悩んだ挙句の言い出しも既に迷っていて、悠太朗と視線が交わらない。付き合いが長くなればなる程この問題に直面し、やるせなさを抱えるなんて分かっていたはずだった。 「いや、ごめん…駄目だな。これは君を都合のいい理由としてる。でも、守れる自信がないんだ。僕は僕の職場に公表する勇気がない。結婚しない理由で周りに嘘を吐き続けるのも苦しい。君の仕事や未来を奪うくらいなら……とか、君の為と言いながら、我が身可愛さだけなのかもしれない、とか」 今までの不安が雪崩れ、悠太朗は手を強く握る。その堅く握られた拳が解けると、諦観と寂寥の混じった自嘲的な笑みを浮かべた。 「分からないんだ。こんなんで、どうやって君を守ればいい?」 今にも泣き出しそうな目の悠太朗と漸く視線が合った。客として初めて会った時から悠太朗は特別で、玉城にとっては今も特別な人で。しかし、特別であって欲しいと願っているわけではない。 「君を守りたいから別れよう、とは言わないんですね」 「それは…!」 「もちろん言わないでください。だって俺らは特別でも何でもないじゃないですか。この世に何組もいる恋人のうちのたった一組です」 これは建前であり本音であり願望。 そう上手くいかないことがあることは分かっていた。玉城は首からネックレスを外すと、チェーンを解き掌に指輪を転がした。こんな鉄屑一つで約束される確かなものなどありはしないのだ。そこに感情が伴わなければ、ただの無機質な輪っかに過ぎない。 「特別視はやめましょう。特別なんて要りません。悠太朗さんは俺の日常でいてください」 指輪を嵌めた玉城の手が悠太朗のそれを握る。猫の足音が聞こえる部屋で、テレビのチャンネルを争い、ソファで寝るなと呆れ呆れられ、次の休日はあそこへ行こうと、カフェラテを片手に語らう日々を求めていた。 「俺も悠太朗さんの日常にしてくれますか?」 最後の最後で問いかけてしまう狡さは許してくれるだろうか。結局は玉城も不安で怖くて、悠太朗に手を握って欲しかった。繋いだ手を引き寄せられ、玉城を苦しい程に抱きしめる腕の中はいつもと同じ、微かなコーヒーの匂いがした。 「狡いなぁ、君は…。別れる選択肢すらなかったのを、今になって気付くなんて自分が嫌になる」 肩口に埋まりくぐもった悠太朗の声は、泣いているようにも聞こえた。 「俺も、悠太朗さんの話をするとなると、惚気ばかりになる自分が嫌になります。だから恥ずかしいって気持ちも分かってください」 玉城のそれはもう、第三者からすれば目も当てられない程。二人が欲しいのはドラマや小説ではなくて、自分の世界に相手が溶け込んだ日常なのだ。 予定より遅れて家を出た玉城が向かった編集社では、担当の男性と対面した直後、手元を見られていることに気が付いた。男性の視線は顔から手元に落とされ、再び顔に戻る。 「タマさん、」 「何も言わないでください」 玉城は言葉を遮り、熱い気がする頬に息を吐いた。次の日にはどうせフロア中に広まっているのだろう。仮に男性が話さなかったとしても、遅かれ早かれ知られるのは分かりきっていた。 「タマさんが幸せそうで何よりです」 心底楽しそうに言う男性は、恐らく玉城の反応を面白がっている。恋に溺れた人間の心はどうしてこうも扱いづらいのだろう。打ち合わせを終え、すっかり暗くなった帰路を行く玉城は、ポケットで鳴った携帯電話を取った。 「え?なに、こっちうるさいからもうちょっと声上げてください」 発信者は悠太朗で、猫缶を買って来て欲しいというお遣いの電話だった。 「三毛猫のイラストの?シルバーの缶ですね?」 玉城も同様に声を張るも、喧しく鳴り響いたクラクションに掻き消され思わず振り返る。 大通りを行き交う車と、忙しなく移動する人々。都会の喧騒に見上げた空は星よりも建物の照明が眩しい。 これだけの人間模様があって、人はどうして自分を世界の中心だと勘違いするのだろう。 駅の構内で惣菜を売るショーケースに集まったあの二人組の女性だって、スーツ姿の男性、学生らしき子すらも、玉城は何一つとして詳細を知らない。 「悠太朗さん夜ご飯まだですよね?」 「えぇ……うん、食べてはないけど、急に黙ったと思ったらそれ?ずっと呼んでたのに」 「すみません。駅の所に惣菜の店があって、美味しそうだなーって。なんかテレビで見たことあるかも。期間限定っぽいし」 『何がある?』 「えーっとねぇ、なんか海老のオレンジのやつとー、ブロッコリーの緑のやつとー」 『何も伝わらなくてヤバい』 「え?あははっ…!ちょっと待って、テレビ電話にする」 玉城は急いで画面を操作すると、二人で決めた数品を買って自宅に急いだ。 以前は一人暮らしの部屋に籠り仕事に打ち込むことに違和感はなかったけれど、今はもう戻れない気がする。ビニール袋を手に下げ帰宅したその先で、お帰りと出迎える悠太朗につられ玉城も笑みを浮かべた。
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