milk ver・同棲前

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milk ver・同棲前

悠太朗がそれを言い始めたのは、どんな話の流れだったか。 よく覚えてはいないけれど、玉城の手料理が食べたいという希望に対しての返答は、人に振る舞うほど上手いわけではない、なんてあまり乗り気でないものだった。それでも何度か駄々をこねると、期待はするなと念を押されて自宅に招かれた。 悠太朗が手料理に固着する理由は、幼少期から両親が多忙で、身内の手料理をあまり口にせず育ったからだろう。言ってしまえば憧れに近いものがあった。 「恋人がキッチンに立ってる光景、なんか良いね」 フライパンで食材を炒める玉城の姿を見て、悠太朗は漸く叶った願望にご満悦顔で言う。 「エプロンしてくれたらもっと良いかも」 「裸エプロン的な?」 「ごめん、それは特に興味ない。着てる所を中途半端に脱がせる方が好き」 「うわっ、そうだった。悠太朗さんそっちタイプだったの忘れてた」 「それと、ほら…玉城くんがよく着てるやつあるじゃん」 「どれ。何の話ですか?」 「部屋着の話。タンクトップにカーディガン羽織ってさ、ぶかぶかのズボンみたいなやつ」 「ワイドパンツね。確かに部屋で着てること多いですけど」 「めっちゃエロくない?」 「やめろ。今後着にくくなる」 玉城は苦言を呈し、炒めていたそれを味見する。理解は出来ないだろうが、悠太朗からすれば玉城はとことん男のロマンを分かっていない。 「そこは僕にくれよ。その為にここで待ってるのに」 「やだわ、恥ずかしい」 このやり取りも何度目だろう。玉城は分かりやすくイチャつくのを恥ずかしがるが、この空間には自分たちしかいないのだから、恥ずかしいも何もない気がする。悠太朗が下から顔を覗き込むようにすると、玉城はそれをチラリと横目で見た。 「はいはい。どうぞ」 こんな時いつも、玉城は何だかんだ悠太朗に付き合ってくれる。そして満更でもなさそうに微笑するのだから、調子に乗るなと言う方が難しい。 出来上がった料理をテーブルへ運び、向かい合って座る空間に、悠太朗は子供の頃思い描いた光景を重ねた。不在がちだった両親を恨んでいるわけではない。多忙な中でもご飯を炊き、スーパーの惣菜を買ってきてくれていることが、お金とメモ書きが残されている日よりずっと嬉しかった。 それを一緒に食べたいと言わなかったのは、子供なりに親を想ってのこと。当時口に出来なかった我儘を叶えてくれる玉城に、悠太朗の中の子供が出て来てしまう。 食後、悠太朗が先に風呂を借りリビングでテレビを眺めていると、入れ替わりで入った玉城が出て来た。そしてその姿を視界の端に写し、悠太朗は思わず二度見する。今の玉城の格好は先程話していた服装そのものだった。  (これは…。誘われてる?) 部屋着のレパートリーが豊富なんて人は少ないだろうし、たまたまの可能性もある。しかし、一度抱いた期待の先で、グラスから水を飲む玉城と目があった。 「わざとらし過ぎました?」 湯上がりの赤らんだ目元で言う台詞としては、なんて危険なのだと悠太朗は思った。例えわざとでも、恋人のいじらしい誘いに冷めるなどあるはずがない。 「玉城くんは何かないわけ?そういう性癖みたいなの」 やられてばかりなのが悔しくて、なんとか弱点を見つけ出そうと問いかける。すると、玉城はソファにいる悠太朗の前で立ち止まり、机上からテレビのリモコンを取った。 「悠太朗さんのベッドでするのが好き」 「え?」 「あと、シてる時にキスされるのとか………子供っぽいって笑ったら殴りますよ」 「やめてよ、怖いな。僕まだ何も言ってないじゃん」 テレビの電源が切られ、悠太朗はくすくすと笑いを刻む。お望み通りその口を塞ぐと、いつもより熱い体温を感じた。 悠太朗の部屋に玉城の私物が一つ、二つと増え、逆もまた然り。恐らく悠太朗も、玉城に負けず劣らず人の温度に飢えている。 だから今日のように、〝泊まっていきますか?〟ではなく、〝泊まっていくでしょ?〟という玉城の問い方を、悠太朗はどこか気に入っていた。 目を覚ました時、隣に猫と同じ温もりがあることも悠太朗にとっては安らぎの一つ。遠くでインターホンの鳴る音がして、その腕からゆっくりと温もりがすり抜けた。 「はぁい…はいはい、今行きまーす……」 独り言を言う声もまだ微睡みを帯び、軋んだベッドに悠太朗は目を開ける。ぺたぺたと裸足の離れ行く音に瞬きをすると、視界に玉城の脱ぎ捨てた衣服を見つけ飛び起きた。 「ちょっ、と待って!ストップストップ…!」 慌てて駆けつけた玄関には、既に荷物を受け取った 玉城がドアの鍵を閉めようと腕を伸ばしていた。その下半身は昨日と同じワイドパンツだったが、上に着たのは悠太朗のシャツ。 「前に頼んだのもう来たんだ………どうしました?」 伝票を見ながら誰に言うでもなく喋る玉城は、こちらを凝視する悠太朗に怪訝そうな顔をした。 「君の服が、置きっぱなしだったから…。もしかして……」 「はぁ?いやいや、全裸で宅配便受け取らないですよ。てか、悠太朗さんこそ上に何か着たらどうですか?」 「君が着てるんだよ」 「ん?あぁ、そういうこと」 玉城は自身を見下ろし、段ボールを持ったままごめんごめんと笑い寝室へ戻った。そしてベッドの縁に座り自分の服へ着替えようとする。悠太朗はその隣へ腰掛けると、徐に玉城の肩に凭れた。 「なんですか?」 「僕さ、正直彼シャツとか全く興味なかったんだ」 前触れもない本音に玉城の目が瞬く。しかし、間も無くして何か気付いたらしい声を上げた。 「目の前にしたら思ったよりよかったと?」 的確な指摘に頷けば、ストライクゾーンが広いなぁと他人事のように笑われた。そのまま玉城を抱き寄せシーツへ雪崩れ込めば、耳元で僅かに驚く声が聞こえた。 「ちょっ、と…待て待て。もうしないしない」 「そんなつれないこと言うなよ」 「つれないもなにも今日出勤でしょ。遅番とは言え、遅刻しますよ」 肩口から顔を持ち上げると、悪戯に眼鏡をかけられる。レンズ越しのボヤけた視界で、玉城の表情は伺えない。ただ一つ分かるのは、玉城が思っていたより視力が低いこと。 「玉城くん、結構目悪いんだねぇ」 悠太朗は上半身を起こすと、安直な感想を口にした。玉城からの返事はなく、眼鏡を外すと驚いたような表情があり首を傾げた。どうしてそんな、してやられたみたいな顔をしているのだろう。 「悠太朗さんは…。眼鏡、要らないんですか?」 「え?要らないよ?」 今までかけている所を見たことがないのだから、必要がない視力なのは玉城も知っているはず。なのに何故そんな今更なことを言うのか疑問に思っていれば、鈍感だと罵られると同時に、肩を軽く叩かれてしまった。 悠太朗がその理由を知るのは、もう少し後の話になる
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