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milk ver・同棲前
車のクラクションに起こされた悠太朗は、自宅ではない部屋に経緯を考えた。
しかし、隣で眠る恋人を見て、玉城の家に来ていたことを思い出す。愛猫三匹が健康診断で外泊するから寂しいと言ったら、うちに泊まりに来たらいいと提案してくれた次第だ。
それでも、あんな真っ昼間から行為に至るとは思ってもいなかった。変な時間に始めた所為で窓の外は黄昏という半端な時間。暑そうな日差しとは対照的に、冷房の稼働する雑音だけが聞こえていた。
「玉城くん起きてるでしょ?」
見下ろした寝顔に問いかけると、まだ少しだけ微睡む目が開く。
「どうして分かったんですか?」
「何となく」
「え、怖っ」
玉城は大袈裟に怖がって見せ、ベッドから起き上がると乱雑に落ちた服を拾う。そのままリビングへ向かう背中に、悠太朗も自身の服を探した。
「今日から明日、スーパームーンらしいですよ」
リビングから飛んできた声を追いかけると、テレビの前でリモコンを片手に立つ玉城がいた。
「何それ。昔の女児アニメ?」
「そうなんですか?」
「嘘、知らない?世代じゃないのかな」
思いもしない所でジェネレーションギャップを受け、悠太朗は隣に並び夕方のニュースを眺める。
「一年で一番月が近くなる日なんですって」
アナウンサーの言葉を丸々借り、玉城が得意げに言った。それに対し悠太朗は気の抜けた相槌を打ち、画面に映し出された満天の星空を見続ける。
「この後の予定ってある?」
「え?別に何も…。じゃなきゃこんな時間まで寝ないし」
玉城に言われて見た時計は十六時を越えていた。テレビに映るのは変わらず幻想的な光景で、ここから車で数時間かそこらだろう。
「予定がないなら月でも見に行かない?」
人生でこんな誘いをするとは思ってもいなかったから、その言葉は少しだけぎこちなかった。けれど予想外だったのは玉城もらしく、物珍しげに目を丸くさせ、間も無くして短小に笑い声を発した。
「ロマンチストかよ」
「いやいや、君には負ける」
それが玉城の返答のようだ。となればグズグズしている暇はない。二人は慌ててシャワーを浴び、レンタカー店で借りた白塗りのワンボックスカーに乗り込んだ。
「悠太朗さんって免許持ってたんですね」
ナビのタッチパネルを操作する途中、玉城が意外そうに言った。これは玉城もなのだが、生まれも育ちも都会だと車の免許を取得しない人は多い。バスや電車を使っている悠太朗しか見たことがなかったので、てっきり免許を持っていないとばかり思っていた。
「殆ど使わないけどね。忘れ物ない?家族に言い残したこととか、交通安全のお守りとか」
「やめてくださいよ。縁起でもない」
「乗るの久々だから事故ったらごめん」
「まぁ、その時はその時ってことで」
物騒な冗談を飛ばし合い、ゆっくりと車が出発する。目的地に設定したサービスエリアは、大きな湖を見下ろし、夜景や星空で有名な施設だった。そう言えば付き合って初めて旅行したのも、そこと同じ県だったと、窓に映る悠太朗の横顔を見て何となく考える。
流れ行く車窓は徐々に夜を色濃くし、サービスエリアの駐車場に着く頃には月が薄ぼんやりと見え始めていた。
「日没までもう少しかかりそうだね」
悠太朗は湖に近い場所へ車を止め、空を見上げる。ちらほらと車の止まる駐車場を見渡した玉城は、ある物を見つけた。
「あ、コーヒーショップあるじゃん」
日没まで時間があるならカフェラテでも買って来ようかと思った時、隣から肩を叩かれた。振り向いた先には得意げに微笑む悠太朗と、その手に握られた魔法瓶のような容器。
「そう言うと思ってこれ持って来た」
それはフレンチプレスという様式でコーヒーの淹れられる物だ。レンタカーを借りた後、一度自宅に寄りたいと言ったのはこの為だったのだろう。
「ブレンドも出来るけど、カフェラテが良かったらコーヒーショップでミルクだけ買って来る?」
「そうします」
玉城は車を降りると小走りで建物へと向かった。購入したミルクのカップを持って車に戻ると運転席には誰もおらず、開け放したラゲッジから名前を呼ばれる。
「もう日が落ちそう」
囁くような声に気付かされ、明かりが地平線に吸い込まれるのを見た。太陽の隠れた世界で途端に存在を強める夜景と、夏空を埋める星に思わず息が洩れる。
「ここ座りなよ」
促された玉城が隣に腰を下ろすと、プレスされた豆が辺りに香った。
「これミルクに入れたら溢れないかな」
「大丈夫ですよ。一回り大きいカップに入れてもらったから」
プレス機を傾け、ちょうど良く収まったそれに砂糖を一つ。目の前に広がった夜空はテレビで見るよりずっと壮大だった。冬の方が空気が澄んで綺麗だと言うけれど、月は春の方が綺麗だと言うし、夏も夏できっと悪くない。
自分たちと同じく夜空を見上げる男女の、仲睦まじい光景を目に入れてしまったのは本当に迂闊だった。玉城が咄嗟に視線を逸らせば、運悪く悠太朗と視線がかち合った。
「僕たちもする?」
「しませんけど」
「そんな即答しなくてもいいじゃん」
容赦のない返答に悠太朗は破顔した。どうせ照れ隠しなのだとバレているのが玉城は余計に恥ずかしい。それでも、見上げた空に比べてあまりにちっぽけな自分と、場の雰囲気に絆されて重なった手に二人の視線がもう一度交じり合った。
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