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milk ver・同棲後
夏も盛りの季節、駅の構内に貼られた広告が悠太朗の目を引いた。用事を済ませたらしい玉城が数歩先で立ち止まり、不思議そうな顔をする。
「玉城くん、この納涼祭行ったことある?」
「納涼祭……あぁ、毎年やってるやつですか?学生時代に何度か」
「あれ花火綺麗だよね!屋台もいっぱい出るしさ、近くの飲食店もテイクアウトで出店したり」
やたらテンションの高い悠太朗を見て、玉城は豆鉄砲を食らったかのようにアーモンド型の双眸を瞬かせた。
「行きたいなら一緒に………あっ」
提案する途中、玉城は悠太朗のシフトを思い出したらしい。悠太朗も行きたいのなら素直に誘うのだが、仕事となるとそうもいかない。テンションが高いのだって空元気に近いものだったのだ。
「その日は十九時退勤だから帰りに行くとか…」
「そんな時間から行っても激混みで花火なんて見えたもんじゃないですよ。俺も午前中は予定あるので場所取りしてあげられませんし」
玉城の正論に次なる策は思いつかなかった。
これはシフトを組む段階で、恋人や友達と行きたいなんて話す学生アルバイトを前に、自分もと言い出せず休みを譲ってしまった己が悪い。今回は仕方がないと諦めた悠太朗だが、当日の休憩時間に珍しく玉城から電話がかかってきた。
『仕事中にすみません。今日の帰り、ちょっと寄り道出来ませんか?』
短い謝罪の後に予想外な質問をされ、悠太朗は疑問符を浮かべる。
「それはいいけど…。ご飯でも行く感じ?」
『いえ、夜は作っておくので大丈夫です。なんというか、ちょっと軽い寄り道みたいな』
濁す言い方がますます分からない。
分からないまま通話を切り、仕事を終えて指定された場所へ向かうと、横浜の定番とも言える観覧車が目の前に見えた。ちょうど遠くで合図花火の音が聞こえ、空の鏡に細い煙が燻る。
「十五分ぐらいしか見れませんけど、観覧車の上からも悪くないんじゃないかなーって」
二枚分のチケットを取り出した玉城は、横目で様子を伺い、一度落としてはまた戻す。その目元がはにかむ様に、悠太朗の中で恋に落ちる音がした。
「まずい。好きかもしれない」
「それは知ってます」
いい年をして青春真っ只中のような会話。側から見れば馬鹿げているかもしれないが、本当なのだから仕方がない。
「観覧車とかいつ振りだろう」
「俺は中学生以来だと思います」
「僕もそれぐらいかなぁ」
回って来たゴンドラに乗り込み、懐かしい体感に二人の感情が昂る。
けれど、ゆっくりと近付く夜空と打ち上げ花火とに、次第に口数が減っていった。そこに気まずさはなく、心地良い静寂に花火の低い残響だけが曳く。
「来年はもっと近くで見れたらいいですね」
「そうだね。でも今回行けなかったことも、僕は少しだって惜しくないよ」
そんな気恥ずかしい台詞が躊躇いなく口に出来たのは、恐らくこの空間のおかげだ。玉城が照れたような笑みを見せ、十五分という限定的な時間の貴さに二人は口を噤む。
そして頂を越え、徐々に降下を始めたゴンドラを名残惜しく思ったのは、果たしてどちらだったろう。
「ちなみに今日の夜ご飯、何だと思います?」
「え?」
「ヒントはね…焼きそば、イカ焼き、フランクフルト」
三つ並んだ料理に悠太朗は小さく笑った。玉城の発想にはいつも感嘆させられる。
「祭りの屋台?」
「当たり」
地上へと近付く中、束の間の夢が覚めると同時に空腹を感じた。その日常感に安堵さえ覚え、帰路を行く足取りは名残惜しさばかりではなくなっていた。
星も掠れる都会のど真ん中で、玉城の存在は紛れることの出来ない眩しさだった。夜に乗じて繋いだ手を夏風が撫で、耳の奥で木霊する遠花火。
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