33人が本棚に入れています
本棚に追加
milk ver・同棲後
悠太朗は玉城の部屋に入ることを、主が不在の際は避けるようにしていた。
そこは仕事部屋でもあるので、自分に変な気がなくても守秘義務の単語がチラつく。
それでも致し方ない理由があり立ち入った部屋で、なかなか際どい表紙の雑誌と対面してしまった。悠太朗は思わず数歩後退し、グラビア女性が表紙の青年雑誌を遠巻きに注視する。
(あー……いや、まぁ…こういうのもある、よね)
暫く立ち尽くし至った結論がそれ。裏切られたとか浮気とか、決してそんな感情は生まれなかったけれど、目を背け続けて来た現実を目の当たりにした衝撃があった。
一言で表現するなら、やっぱりなぁ、といった所だろう。悠太朗は女性の素肌に興奮を覚えないが、元が異性愛者の玉城は恐らく違う。
(そうか、玉城くんこういうのが好きなのか)
興味本位で雑誌を開き心の中で呟く。
悠太朗は紙面に写る女性のような身体ではないし、魅惑的な肢体もなければ、猫のような愛らしさもなかった。そんな悠太朗に出来ることといえば、玉城の好きなカフェラテを淹れることぐらいだ。恋愛の手法としてよく聞く胃袋を掴むではないけれど、正午過ぎには帰ってくるらしい玉城に昼食の有無を問う連絡を送った。
両親が多忙で家庭料理とは縁遠い生活をしていたからか、大人になっても仕事関係のカフェメニューに寄った方が知識がある。間も無くして届いた返事に、悠太朗は帰りがけに買った話題のベーグルを持ってキッチンに立った。
それから三十分程経ち、玄関のドアが開く音と同時に、キャットタワーで寝ていただいずの首が持ち上がる。
「ただいまー……なんかめっちゃ良い匂いする!」
飛んで来た声に悠太朗は口元を緩ませた。リビングへ顔を出すなり、匂いを辿りこちらの様子を伺う様が、年齢に反比例しながらも不釣り合いでないのだから不思議だ。
「これどうしたんですか?」
「店の軽食を改良するのに、本店の店長から相談されたから。こういうのどうですかーっていうやつ」
「成る程ね」
「君はエチオピア産の豆が好きだろうけど、店のはコロンビアだから今日はそっちで。合わせて飲んで感想聞かせてよ」
「いいねいいね、試食会。着替えてくるんでちょっと待ってて」
玉城はリュックサックを下ろしながら、急ぎ足で自室へ向かう。そして部屋へ入ってすぐ疑問符を発した。
「あれ?あずきこんな所で何してんの。がっつり雑誌の上で寝てるし」
猫に向かって喋るその声に悠太朗はヒヤリとした。部屋を出た際、ドアを完全に閉め損ねたのだ。その隙間からあずきが侵入して、あろうことか例の雑誌の上で寝ていると言う。
「ご、ごめん。さっき…洗濯を回す時に、部屋に洗濯する物ないかなって入っちゃって。でも、すぐ出たから」
「あぁ、それはいいですけど。別に見られて困る物ないですし」
あっけらかんと言った玉城に、あの雑誌は恋人に見られて困る物ではないのだと。安心したような、悲しいような。何とも言えない複雑な気持ちになった。
「あずきが寝てたから雑誌ほっかほか。これ凄い楽しみで発売日に買いに行ったんですよー。悠太朗さんも読みます?」
ケラケラと笑った後、中途半端にドアを開けた自室から話しかけられる。その謎の提案に悠太朗は耳を疑った。何が楽しくて恋人のオカズを見なければならないのか。
「僕はいいかな」
「そう?オススメなのに」
少しばかり意外そうな顔で、部屋着に着替えた玉城が戻って来た。今まで食べ物でも何でも、玉城のオススメを一度も試さず拒むことはあまりなかったが、正直こればかりは必要としていない。
愛情を感じていないわけでもないのだし、これはこれ、それはそれだと割り切って机上に皿を並べた。玉城がワックスペーパーごとベーグルサンドを掴み、齧りついた途端に輝く目の素直さを、悠太朗はカップ片手に向かいで眺める。
「うんまっ…!」
「マスタード塗ってあるけど辛くない?」
「俺はこれぐらいが好きです。クリームチーズも挟まれてるし、カフェラテとかと一緒に食べるなら丁度いいんじゃないですか?ハーブが効いてて女性に人気出そうですね」
ぱくぱくと食べ進める玉城を見て、今のこの幸せがあるのは彼のおかげだと思う反面、やはりまだチラつくのが雑誌の存在。悠太朗は暫く迷った後、恐る恐る口を開いた。
「あのさ…」
「ぅん?」
「玉城くんは…あの、なんて言うか…。そういう、さっきのみたいな雑誌とか持ってたりする?」
かなり遠回しな表現に玉城が目を瞬かせ、咀嚼をしながら考えあぐねる。数秒後、ハッと何かを察したらしい顔をした。
「さっきからなんか様子が変だと思ったら、そう言うことですか?!」
「も、持ってたら嫌とかじゃなくて普通に気になるだけ!君は女性が恋愛対象なわけだし、買ってほしくないとも隠してほしいとも一切思わないけど、単純な興味!!」
「さっきのは違っ…!あれは違くて、知り合いが漫画の連載を始めただけでコメディだし、エロ目的じゃないから!」
悠太朗が早口で捲し立てれば、玉城も劣らない勢いで弁明する。そして、糸が切れたようにそのまま椅子へと凭れた。
「ムードないって…。こんな洒落たもん食べながらする話じゃない」
確かにそれは最もだが、ならばどのタイミングで聞くのが正解だと言うのだ。玉城は何も言わない悠太朗の顔を伺い、諦めとも取れる息を一つ吐いた。
「持って、なくはないですけど………ほら、だって悠太朗さんそういう顔するじゃん」
すかさず指摘をされるも、悠太朗は自分が今どんな顔をしているのか分からない。
「捨ててほしいなら捨てますけど。電子書籍だから簡単に消せるし」
「いや、そういうわけじゃなくて、ただ単純に……不安なんだ。僕は君の根本の趣味嗜好を誘う要素が何もない」
「相変わらずクソ真面目な思考回路してますね」
「茶化すなよ。こっちは本気なんだから」
「茶化してないです。俺も本気です。本気で悠太朗さんが好きで付き合ってて、同棲までしてます。同情や義理で体の関係まで持ちません」
玉城は凭れさせていた体を起こし、少しだけ温くなったカフェラテに口を寄せる。
「前にも言ったでしょ。悠太朗さんだからですよ」
淀まない殺し文句に悠太朗は口を引き結んだ。普段は好きの二文字も言い渋るくせに、こんな時ばかり恥ずかしげもなく愛を呟く。
「ちなみに、明日は丸一日休みですけど」
机上にカップを下ろした玉城は頬杖を着いたまま、淡く添えた指先で陶器の側面を撫でた。羞恥からか僅かに震えた睫毛が悠太朗を一瞥し、悪戯に舌を出す。
その指を飾る指輪とカップとが微かな音を立て、彼には一生敵わないのだと思った。
最初のコメントを投稿しよう!