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milk ver・同棲後
いつもと同じコーヒーの匂いがして、隣にいたはずの恋人が既に起きていることに気が付いた。
ベッドから降りた玉城はのそのそと歩き、道すがら床に落ちた衣服を拾って部屋を出る。着替えるなら部屋に置いて行かず、ついでに持って行けと何度か言ったけれど、今のところあまり改善されている気がしない。
「おはよ……あ、待って待って。ごめんまだ怒らないで。気を付けるから」
キッチンに立つ悠太朗は、部屋から出て来た玉城が持つ自身の服を見て、慌てて言い繕う。
「別に怒りはしないですけど。着る服が足りなくて困るの俺じゃないんで」
「それ一番怒ってる時の言い分じゃん」
「んふふ」
玉城は含み笑いを残し、洗濯機を回しに脱衣所へと向かった。実際そこまで怒っているかと言われると、そんなことはない。出勤の朝になって仕事着の洗濯がされていない場合、困るのは本当に悠太朗本人なのだ。
「悠太朗さんっていつも朝早いですよね。大体俺より先に起きてるし」
忙しく稼働する洗濯機とは対照的に、玉城はまだ動きの鈍い頭で言った。すると悠太朗は牛乳を注ぐ手を止め、何となく気不味そうな顔をする。その反応が不思議で見つめ続けると、困ったように微笑した。
「友達とか家族に、寝起きの人相が悪いって言われたことがあって…。機嫌が悪いわけじゃないんだけど、元々目が細いから目つきが悪く見えるのかな」
君は二重でいいねぇ、なんて羨ましがる悠太朗に、玉城は何となく笑って誤魔化した。確かに糸目がちなのは知っていたけれど、まさか自分より早く起きるほど気にしているとは思ってもいなかった。
その日は玉城が仕事で部屋に籠ることとなり、それ以降は顔を合わせることなく日付を跨いだ。そして明るくなり始めた空を、カーテンの隙間から見て腰を上げる。静まり返ったリビングには猫一匹おらず、ほんの興味本位で隣のドアノブを捻った。豆電球だけの暗闇に、あぁ、また本や仕事で使う物を積み上げっぱなしだと。
(俺は結構好きだけどなー…。でも、コンプレックスなんてそんなもんか)
玉城はベッドの脇へと静かに屈み、猫に囲まれて眠る悠太朗の寝顔を眺める。本人は劣等感を覚えているらしいけれど、笑い皺の寄る穏やかな目元に玉城は弱かった。それを言えなかったのは単純に羞恥心でしかない。ついつい息を吐くと、その溜息に耳を揺らしただいずが寝返りを打ち、悠太朗は薄らと目を開けた。
「玉城、く….?」
最後まで音にならない声は掠れ、不覚にもどきりとした。九割ほどは夢に傾いた目が瞬き、焦点を合わせるように眉間に皺を寄せる。
「眠れないの?」
「いや、そういうわけでは……」
起こしてしまったことが申し訳なくて、口籠る玉城の声は届いていないのか、悠太朗は徐に布団を開けた。
「ん」
「え?」
突然のことで意図が分からず疑問符を浮かべると、更に眉間の皺を深くさせ、反対の手が布団を叩く。
「早く。寒い」
「それは窓開けて寝てるから…」
朝晩が涼しくなって、クーラーや扇風機が要らなくなったこの頃。開け放した窓を閉めてあげようかと思った時、伸びた手に腕を掴まれ引き寄せられた。
「…っ、ちょ、っと……悠太朗さん」
名前を呼んでも返事はなくて、二人と三匹分の体重にベッドが軋む。先日出したばかりの秋用の布団は悠太朗の体温が籠り、徹夜明けの玉城には抗い難い温かさ。同じ柔軟剤を使っているはずなのに、悠太朗の衣服や布団はどうしてこうも悠太朗の匂いがするのだろう。
(これ、起きた時に悠太朗さんが覚えなかったら…)
その場合、玉城が眠っている恋人のベッドに潜り込んだ、という些か変態くさい疑惑をかけられてしまう。
しかし、この心地良い眠気と温もりの中では、それすらも果てしなくどうでもいい。束の間の夢に浸る二人は、ひつじ雲の浮かぶ空が高くなっていることにまだ気付けずにいる。
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