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第10話
電車が来て、俺と梨々さんは一緒に乗り込んだ。
この時間のこの電車は、割と空いている。
しかし俺は尻のあたりも全部濡れているので、座るわけには行かず吊革に捕まり立っていた。
すると隣で梨々さんも立ってくれていた。
「五郎くん、体調大丈夫?」
梨々さんの頭は、丁度吊革を持つ俺の肘の下辺りにある。
上目遣いで俺の目を見てそう尋ねる梨々さんに、さっきのホームでの言葉を思い出して思わずドキリとした。
「ああ。きっと大丈夫だ。こう見えても俺は体が丈夫だ。簡単に体調を崩したりはせん」
「ほんとにっ?それはよかった!さすが五郎くんだね!男の子って感じで強そうだもんね」
「いや強くはない……」
事実、先程はあれだけ殴られていたのだ…
そんな恥ずかしい記憶は咄嗟に胸の奥に引っ込めた。
梨々さんの言葉一つ一つに、柄にもなく喜んでいる自分がいる。
梨々さんは褒め上手だ。無意識に相手が喜ぶことを言う。
だからこそついついその褒め言葉が欲しくて、梨々さんと会話がしたくなってしまうのだろう。男にモテる理由がよくわかった。
「でも梨々、五郎くんは本当に凄いと思うよ。中学生になってテニスを始めたのに、もうレギュラーでしょ?すごく頑張って努力したんだなって思う!」
「レギュラーはペアのお陰だ。俺だけだと無理な話だ……」
「そんなことないよ!二人が凄いんだよ!ペアの子だって、五郎くんとじゃなきゃ、レギュラーになれなかったかもしれないし」
「……けど俺は、卑怯なのだ……」
先程アイツに言われたこと。
実は何も言い返せなかった。
正にその通りだったから。
俺は1人では、何もできない男なのだ。
現に今も………
「けど梨々は、五郎くんのこと卑怯だなんて思わない!」
俯きかけた俺の目をじっと見つめ、梨々さんは明るくそう言った。
「誰がなんて言おうと、五郎くんは凄いんだよ!卑怯じゃないの!梨々は絶対にそう言うから!」
普段は優しく柔らかな雰囲気を持つ梨々さんだが、時々真夏の太陽のような強さを見せる時もある。
今の梨々さんは、正にそう。
確固たる自分を持っていて、その自分が感じたものは決して疑わない。
自分を信じるそんな強さは、俺のような奴のことをも信じる強さと等しくあるのだ。
初めて感じる妙なドキドキに混乱しながらも俺は梨々さんより2つ早い駅で電車を降りた。
梨々さんは、俺の姿が見えなくなるまで笑顔で手を降ってくれている………
駅から出ると、再び俺を出迎えるような雨が視界に入る。
だけど今の俺には、梨々さんから借りたタオルとウィンドブレーカーがある。
そして、彼女から貰った、強い強い信念もある……
俺は、凄いのだ。
努力をしてあのハイレベルなレギュラー争いを制したのだ。
梨々さんの言葉が優しく甘く脳内で響く。
俺は、決して不正などしていない。
相方のお陰だけでレギュラーになれるほど甘い世界ではない。
駅から出た我が身を打つ雨の音は、まるで激戦を制した勇者の凱旋を迎えるような、華やかな音楽のように聞こえた。
どんな冷ややかな雨からも、梨々さんのウィンドブレーカーが彼女の香りと共に俺を守ってくれているかのようだった。
意気揚々と小躍りするように家路を進む。
まるで勇者の行進だ。
俺は俺をこんな気分にさせてくれた梨々さんへの想いの名前を、敢えて脳内では言葉にしなかった。
その代わり、彼女が見せる様々な表情を思い浮かべては胸を暖めていた。
しかし数m進んだところで、俺はふと冷酷な現実の壁へとブチ当たる。
あの日……
ゴールデンウィークに友人グループで遊んだあの日、梨々さんが優に見せた顔……
思い出さなくても良かったものまでもを思い出してしまった。
しかしどちらにせよ、これから先俺が梨々さんに恋をする上で、嫌でも見なければならない表情。
俺を救ってくれたはずの大親友の存在が浮かび上がったというだけで、さっきまでは暖かく俺を包んでいた雨音が、一瞬にして不毛なこの想いを嘲笑うような冷たい音に変わった。
矢張り俺に向かって降り注ぐ雨は、身の程を知り尽くして泣き崩れる俺の涙が蒸発し、空から還ってきたもののように冷たいのだった。
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