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 もっと悲しいもんだと思ってた。とっくにそんな気持ちは使い果たしてたんだと思う。親父が死んで感じたのは、これで解放されるっていう安堵だった。家族だけの簡単な葬式を挙げてから、屋根しかない吹きっさらしの火葬場での二時間のことは覚えてない。穴の空いたソファーに横になった途端、意識を失って馬鹿みたいに寝てたからだ。起きるとまた空が曇ってた。田舎の天気はよく変わる。死んだ親父は生きてた頃より、さらに縮んで見えた。それも、今度は焼かれて骨と灰になった途端、ほんとに親父がこの世界にいたのかどうかも曖昧になった。一つ笑えたのは、どうしても骨壷の蓋が閉じられなくて、火葬場のおっさんが、素手で骨を無理矢理押さえつけて割った事だ。一づつ説明しながらあんなに丁寧に収めていったのに、最後の最後で全部台無しにした。葬儀屋からは職員に対して絶対にお礼を包む様に言われてたけど「アホちゃう」と、お袋はそれを一蹴した。  病院に挨拶に行った後、アパートに戻ったのはもう暗くなったころで、駐車場にはマサキの箱付きが戻ってた。部屋は明日、午前中に不動産屋の立ち会いの元引き上げることが決まってた。あとは荷物を段ボールに詰めて出ていくだけだ。  ミチオとは動物園の日以来、会えてない。会いたくもないのは、わかってる。それに許してもらおうなんて考えてなかった。車でアパートまで送った別れ際、ミチオはヘラヘラ笑って「責任、とってよ」って言った。ミチオが望むなら、なんだってする。  一通り片付けが終わったころ、チャイムが鳴って表に出ると、玄関前にミチオがいた。明日、マサキが居ないうちに、訪ねようと思ってたけど、まだ顔を合わせる心の準備が出来てなかったから、驚きはした。 「あ…ごめんな、なんかこんな時に…」  着替えるのが面倒で火葬場から戻ったままのスーツ姿が、どういうことなのかの察しはついたみたいだった。 「出直す…」  そう言って部屋に戻ろうとするミチオの腕を掴んで引き止めた。廊下の薄暗い蛍光灯の下でも、ミチオの左腕の赤いアザがはっきり見えた。 「また、やられたん? もうせぇへんってゆうてたやん」  掴んだ手を振り解かれた。 「おまえが言う?」  そう言われてしまえば、そうだった。俺がマサキのした事をどうこう言うのはおかしな話だ。 「ごめん」  何を言ったって説得力はゼロで、俺は謝ることしかできない腑抜けのクソ野郎だ。 「今週、出てくことなったから」  そのことを伝えに来た。ミチオはそう言った。 「大阪、帰んの?」 「明日、出てく」 「そっか……じゃあ、もう会う事なくなんな」  大阪と北海道じゃ、病院みたいにふらっと訪ねて来られる様な距離じゃない。このまま別れれば、多分、俺たちは二度と会えなくなる。ミチオもそれをわかってたんだと思う。だからこうして伝えに来たんだろう。 「こないだのこと、謝りたかった」 「もう、いいって」  ミチオが悲しそうに見えたのは、俺の勝手な妄想かも知れない。それでもミチオを抱き寄せたのは、このまま帰したくなかったからだ。ミチオは驚いた様に体を硬直させた。ミチオのシャツからは、マサキの匂いがした。この匂いは嫌いだ。ミチオがマサキのモノなんだって、そう教えられてるみたいで嫌いだ。 「大阪ってどんなとこ?」 「いいとこ」  ミチオのトライバルも、赤い髪も誰もそんなこと気にしない。 「オレ、大阪行ったことないわ」 「一緒に行く?」  ミチオは返事の代わりに、ただ笑った。  親戚がいるわけでも、知り合いがいるわけでもないこの土地に、もう二度と来ることなんてないんだと思うと、クソみたいな辺鄙な田舎町でも、離れるのが惜しくなる。随分勝手な話だ。だからなのか、毎日見てた頃はなんとも思わなかったのに、今日は空も山も綺麗に見えた。発送する荷物を宅配業者に持ち込んだ後、アパートに戻ると、不動産屋がもう到着してて、慌てて荷物を運び出した。  駐車場にはマサキの箱付きはない。出ていくなら、今がタイミングだ。ミチオを連れて行けば、お袋も直樹も驚くに決まってる。だけどそんなことどうでもいい。中身のない空っぽの絵だって、幾らかにはなったし、足りなければ、また描けばいい。大阪に戻ったら、仕事を見つける。落ち着いたら、二人で暮らせるだけの部屋を借りよう。ミチオが働きたくないって言うんなら、それだって別に構わない。 「ミチオ」  声を掛けてみても、返事はなかった。  駐車場に回って、ベランダを覗き込む。厚い遮光カーテンが遮った窓からは、中の様子が確認できない。 「ミチオ?おらんの?」  俺はマサキみたいに殴ったりしないし、傷つけたりもしない。 「おにぃ、行くで」  直樹が車のエンジンをかける。 「ちょっと待って。ミチオって!」  何回呼んでも返事は無かった。ドアポストに連絡先を書いたメモを入れるかどうかは迷った。それが原因で、マサキがミチオを殴るかも知れないと思うと、そんなこと出来るわけない。  諦めがつかないまま、後部座席に乗り込んだ途端、部屋のカーテンが開いた。ミチオはベランダに出てくると、咥えたタバコに火をつけた。 「ミチオ!」  ミチオは、ちゃんと聞こえてるって笑った。まだ答えは聞いてない。ミチオはベランダの手すりに寄りかかる。車は砂利を踏み潰しながら、ゆっくり走り出す。それからミチオが手を振って、それが答えだと知らされた。 おわり。
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