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国道を抜け、勤務先の研究所への近道に、何時ものように細い脇道を進む頃、陽も随分と高くなり、若干暑ささえ感じ窓を降ろすと、心地良い風に乗って、仄かに花の香が鼻孔を擽くすぐった。
清らかに甘い梅花の香だった。
『──絵里子さん……』
思わずその名が口唇から滑り出した。
それは、初恋の女性の名前だった。
そして──御都部の細君の名前で……
そう──、御都部を思えば、自ずとそれは失恋の苦い思い出へと記憶を巻き戻した。
──僕を選んでくれるものだと、思ってたのにな……
同じ町内の幼馴染みで、同じ学習塾へ通い、同じ高校へ進み……
自然の流れでデートも重ねて。
映画館へ行ったその帰り道、別れ際、人気の無い路地裏で接吻けを交わした。
でも、恋人気分で浮かれていたのは僕だけで──
その翌月に、絵里子さんがあの御都部と付き合っていると、クラスの女子が癇癪顕わに囀った。
そんなの噓だと、たかが噂だと否定したけれど──
卒業を間近に控えた頃、絵里子さんは御都部の婚約者と知った。
梅花の香るこんな季節だった。
淡い感傷に浸り掛けた時、研究所の門が見え、急速に僕は現実へ引き戻された。
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