飛ぶように駆けてゆけ

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 これが高校生活最後の試合だというのに、スタート前の彼からは緊張も気負いも力みも感じられなかった。このメンタルの強さが私との違いなのかな、なんてネガティブな事をつい考えてしまう。  8人の走者がスターティングブロックについて、一瞬の静寂の後で号砲が鳴った。一斉にスタートを切る。やはり彼は速い。さほど背は高くない彼が、脚の可動域を最大限に広げたフォームでぐいぐいと地面を蹴って進んでいく。トラック半周、200メートルを走っても全くスピードが衰えないどころかゴールに向かって加速していった。あっという間に私のいる300メートル地点まで近づいてくる。  彼は一位か、いや際どいところだ。隣のレーンの選手も相当速い。  そして彼が私の目の前を通過する瞬間、目が合った気がした。大歓声に後押しされるようにラスト100メートルを走る彼は、少しだけ表情が歪んでいる。ここからが、究極の無酸素運動と呼ばれるこの競技の正念場だ。乳酸の溜まり切った手足を動かしながらそれでもスピードを緩めずに、飛ぶように駆けていくその背中に、私の意識は吸い込まれる。 —あの背中は、色んな人の想いを乗せて走ってるんだ。  私は松葉杖を放り出して声を絞り出していた。 「—圭吾!走れ!」
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