雨音と悲しみ

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 雨の音が聞こえて、思わず空を見ると、しかし雨なんて降っていなくて、真っ青な晴天が広がっていた。またか、と私は思う。最近こうしたことが多いのだ。どこからか雨音が聞こえてくるのに、雨なんて降っていない。  聞こえる雨の音は、色々だ。土砂降りの雨音の時もあれば、さらさらとした、優しい雨音の時もある。ぴちょんぴちょんと地面で跳ねる音の方が大きいこともある。今聞こえたのは、なんだか悲しくなるような、冷たいというか、寂しい雨音だった。  ただ、なぜそんな雨音が聞こえるのかはわからない。疲れてときに聞こえるのかというとそうでもないし、体調が悪い時に聞こえるというわけでもない。どんなに考えても原因が分からないから、とりあえず、耳鳴りのようなものなのだと考えて自分を納得させている。  雨音を聞きながら、そして雨の降っていない空を見上げながら、ふと、これは悲しみの雨の音なのではないかと思った。誰かが悲しんで流す涙が、雨になって、それが私に聞こえてくるのだ。だから、雨音が聞こえた時、私の周りのどこかで、誰かが悲しんでいるのだ。  それは本当に、ふと思ったことなのだけれど、それから少し経って、それが本当なのかもしれないと気づいた。ある日、公園で、泣いている子どもを見かけた。そしてそれと同時に、雨音が聞こえてきたのだ。それはなんだかかわいい雨音で、その子どもに母親が駆け寄ってきて、子どもが泣き止むと、雨音も止まったのだ。  そんなことがあって、私は試してみることにした。人が悲しんでいそうな場所に行って、そこで雨音が聞こえるかどうか調べるのだ。それを繰り返して私は分かった。確かにこれは人の悲しみの雨音だ。その悲しみが激しいほど、激しい雨音がする。優しい悲しみの時は、優しい雨音がする。その人たちが悲しむのをやめると、雨音も止まる。  そしてもう一つのことに気づいた。雨音を聞いた後、私はその雨音の強さと同じくらいの悲しみを自分で感じている。これまでは、何が悲しいのかも分からなくて、それが悲しいという感覚なのだと気づけなかったのだけれど、目の前でその人が悲しんでいることで、その悲しみが私にも伝わってくるのだ。そんなことを繰り返しながら、私はようやく、自分のことを思い出すことができた。
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