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不機嫌な風が唸り声を上げながら、大量の雨粒を窓に叩きつける。
ピシャッ、不定期に苛立ちをぶつけるかのように大きな音を立てる雨は、透明なガラス窓を通り抜けて私の心に何か訴えかけているみたい。
外を確認せずともわかるほど天気は大荒れ、昨日彼氏にフラれた私の心も土砂降りの雨模様。
晴れる気配なんて、ひとつもない。
はぁと大きな溜め息を吐いて、ベッドに倒れ込む。
昨夜思いっきり声を上げて泣いたせいで、瞼が重たい。目を開けるのも億劫だ。
最悪の休日、何もやる気が起きない。
でも、いいの。もう私に彼はいない。
……好きだったんだけどな。
いい彼女になろうとしすぎちゃったかな。
うじうじと大好きだった彼のことをまた考え始めたら、じんわりと瞳が熱を持つ。
あんなにたくさん泣いたのに、涙なんてもう枯れたと思ってたのに。私はまだまだ涙を流し足りないみたい。
ぽろぽろ、恋の熱を孕んだままの熱い雫が枕に落ちてじんわりと滲み、悲しみが広がっていく。
切り替えられない頭の中で別れの悲しさと、将来への不安が募っていく。こんな時に少し冷静な自分も存在していることが腹立たしい。
無駄に歳を取ってない証拠なのかもしれないけれど、好きな人にフラれて学校に行きたくないって駄々こねて、恋話ひとつでキャーキャー言える高校生だったあの頃に今は戻りたい気もした。
彼と結婚するんだろうな、って。なんとなく私はそう思っていたから、将来がまるで見えなくなった。お先真っ暗、そんな言葉がよく似合う。
社会人なんて、出会いはまるでないのに。
私、新しい恋できるのかな。
低気圧の影響か、泣きすぎたからか、はたまたそのどちらも理由なのか、だんだん頭がズキズキと痛くなってきた。
うう、と唸りながら、どうか夢だけでも幸せなものが見れますようにと願って、私は現実から逃げるようにそのまま二度寝を決め込んだ。
……ピンポーン。
気が抜けるようなチャイムの音がして、はっと目を覚ます。ほんの少しだけ寝るつもりだったのに、思っていたよりも熟睡してしまった。
窓の外はあんなにうるさかったのに、いつの間にか雨も風も落ち着いたようだ。ぽたりぽたりと一定のリズムを刻んでいるのが聞こえてくる。
寝ぼけ眼を擦りながらモニターを覗くと、隣に住む新卒の東くんが少し緊張した面持ちでコンビニ袋を片手に立っていた。
何か用事でもあるのかな。
はてなマークを頭上に掲げながら通話ボタンを押す。
「はい」
「雨宮さん、ちょっと今空いてます?」
「電話ならいけるけど……」
「顔を見て話したいことがあるんです」
「えと、ごめんね、今すっぴんだし、顔酷いから」
「僕は気にしないですよ」
「私が気にするんです……」
「べろんべろんに酔っ払ったところは見せるのに……。中に入れてくれないと、ここから動きません」
珍しく押しの強い東くん。
以前酔っ払って迷惑をかけたことを話題に出されると、こちらは何も反論できない。
大人しく自分の部屋に帰るのを待とうかと思ったけれど、この場から梃子でも動かないぞ、という鋼の意思をドアの向こう側からひしひしと感じてしまう。
若い男の子を自分の家の前に居座らせて、変な噂が立つのは避けたい。結局私が妥協するしかなくて、十五分後にもう一度来てもらうことになった。
寝起きの状態から長い社会人歴の間に培った早業でなんとか人前に出ても問題のない状態に変身する。
寝坊した日に比べれば時間にも気持ちにもゆとりがある。慣れた手つきで眉毛を整えながら、彼と仲良くなったきっかけを思い出す余裕さえあった。
(あれは確か私の近所迷惑が原因だったなぁ)
数年前、サッカー観戦が趣味の私は深夜に行われていたワールドカップの劇的逆転勝利に大興奮。ビール片手に真夜中なのも忘れて思いっきり叫んでしまった。
そのまま気分よく眠りについたはいいものの、翌日目が覚めて自分の失態を思い出した私はさすがに頭を抱えた。
角部屋だから隣人は東くんひとりだけ。
何度か顔を合わせたこともあったし、その度に向こうから挨拶をしてくれるから、勇気を出して夜中にすみませんと謝罪しに行った。すると、東くんは何も無かったように微笑んで自分も観ていたから平気だと言って、「次の試合は一緒に観ませんか」と誘ってくれた。
ふたりともサッカー観戦が趣味だと判明して、それ以来たまに予定が合うとお互いの家でお酒を飲みながら代表戦を一緒に見たりするようになった。
東くんは普段から礼儀正しくて、いつでも爽やかだ。大学生の頃から知っているけれど、社会人になってより一層キラキラして見える。
会社のひとからモテているんだろうなぁ。彼ほど好青年という言葉が似合う男に出会ったことがない。
そういえば今日は特に試合もないのに、どうしたのだろう。
そんなことを考えながら鏡を見ると、腫れぼったい目をした可哀想な自分と目が合う。
普段と変わりない準備のつもりで十五分を指定したけれど、間違いだったかも。鏡と向き合うと、一気に現実の世界に戻された。
惨めだな……。
そう思ったらまた瞳が潤んできて、せっかく施した化粧が崩れないように私は慌てて上を向いた。
彼のことを思い出さないように気持ちを落ち着かせて、改めて鏡で自分の顔を確認する。
目も鼻先も赤くなっているけれど、ファンデーションを塗ったところで意味はなさそう。諦めのため息を吐き出すと、もう一度急かすようにチャイムが鳴った。これ以上の修復は諦める他なかった。
いっそ、この酷い顔を見て何かあったのだと察して帰ってくれたらいい。
ガチャリ。
そんな酷いことを考えながらドアを開ける。
潤んだ目で見上げると、ひょろりと背の高い東くんと目が合った。
「ひどく泣きましたね」
「……」
「雨宮さん、何があったんですか?」
途端、泣き腫らした目を一瞥した東くんは私の予想に反してストレートに尋ねてきた。彼は意外とデリカシー無男だったらしい。
部屋に入れることさえ忘れてしまって、ただ呆然と立ち尽くす。涙の答えをはっきりと口に出すことができなくて黙り込んでいると、東くんは気にした様子もなく話を続ける。
「昨日夜遅くにバタバタ帰ってきたと思ったら、ベランダでぐすぐす泣いてる声聞こえるし」
「あ……」
「気になって僕もベランダに出ようとしたら、ふらふらになりながら部屋に戻っていくから、大丈夫かなって心配してたんですよ」
「それは……ほんとにごめんなさい……」
東くんの迷惑になるのは何度目だろう。
心の底から申し訳なさでいっぱいで。それと同時に年下の男の子にみっともないところばかり見られているのが恥ずかしくてたまらない。
「謝ってほしいとか迷惑だったとか、そういうのじゃなくて。今日は大丈夫かなって様子見に来ただけなので」
「……フラれたの」
心配させてしまったのに、事情を説明しないのも心苦しくて。だけどはっきりと現実を口に出すことも辛くて、たったの五文字をなんとか小さな声で吐き出すことしかできなかった。
東くんの靴の先を見つめて言葉を落とすと、じんわりと目に熱いものが滲んだ。東くんは予想していた答えと違ったのか、「えっ」と驚きの声を漏らした。
「あんなに仲が良かったのに……。だからこれだけ荒れてるんですね」
「ひどい……」
驚きを見せたのもつかの間、同情する素振りを見せつつ、少し嬉しそうな様子の東くんの手が頬に伸びてくる。
アラサー女がフラれて、馬鹿にしてるんだ。
その手が触れる前にキッと睨みつける。
これ以上、馬鹿にするつもりなら帰ってもらおう。
けれど、不敵な笑みを浮かべた東くんは躊躇う素振りも見せず、思いのほか優しく涙の跡を拭った。
「落ち込んで悲しんでる雨宮さんにはすごく申し訳ないんですけど……。僕にとってはまたとないチャンスです」
そう言った東くんが、あまりにも綺麗な微笑みを浮かべるものだから。
私は少しの怒りも忘れて、初めて見るその表情にぽかんと見蕩れてしまった。
「ねえ、雨宮さん」
「…………はい」
「こんな時になんですが、僕と恋してみませんか?」
【完】
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