こーひーいんにょう

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「お気に召しませんか?」 私は店員のその物言いに首を傾げ、視界をやや斜めに傾ける。 「仰っている意味がよく分かりません、店員さんのご好意に甘えた自分も悪いですが、そもそものお話仰っている意味が私にはよく分かりません」 時間潰しに入店した喫茶店。入店したそばから私は店員に飲み物を自動的に提供され、続け様に謎の言葉を掛けられた次第だ。 「お気に召しませんか?」 意味不。意味不明なのである。 どういった点が。どういった点で。お気に召しませんか。支離滅裂とはまさにこのこと。私は店員を不審がるような目で見つめた。 「お飲み物を召し上がりませんか? こちらは無料となっております」 テーブル上には氷の入ったアイスコーヒー。無料のアイスコーヒーをこの店員は今私に提供しようとしている。 店内には軽快なジャズ調のBGMがかかっており、空調設備の整った快適空間がそこにはあった。 真四角のソファ席に座る自身の今の姿。それを斜め上から見下ろす男性店員。やや初老気味の痩せ細った店員だった。店舗制服に身を包み短く刈り上げられた頭髪が爽やかな印象を与える。 「ご好意はありがたいですが、きちんとお代はお支払いしますよ、これは試供品か何かですか?」 「当店独自ブレンドで配合したコーヒー豆を使用しております、独特の苦味がお客様方にご好評を頂いております」 そうなのかと私は思った。 問題はそこではない。何故にそのコーヒーが無料なのかということ。コーヒー1杯数百円の喫茶店業界。その1杯で採算が取れるとは到底思えない。サイドメニューしかり単価の高い飲み物しかり、その他諸々の副産物で店舗経営は成り立っている。 コーヒーは席代だと言う輩も存在するが、コーヒー好きの私にとって見れば非常に馬鹿げた問題であって、喫茶店とは茶を楽しむところだ。 店員にはまだコーヒーを飲んでいない段階でお気に召しませんかと言われた。この店員何か嫌な予感がする。 「一口飲んでみてはいかがですか? 当店のアイスコーヒーは水出し製法とドリップ製法を組み合わせた独自の抽出法をとっております。嫌な苦味が少なく大変に飲みやすい口当たりとなっております」 毒でも入っているんじゃないだろうか。そう思ってしまう私は人を疑って掛かることで有名だ。 「何故無料なのですか? おかしな話に映ります、試供品でないモノを何故私に無料で提供するのですか」 店員は微動だにせずただそこに突っ立っているだけ。店内に客は私一人だけだった。 「正直に申し上げますと、このSサイズコーヒーは貸し出し用のコーヒーなのでございます」 「貸し出し用?」 私は眉間にシワを寄せ、目の前のコーヒーをまじまじと見つめる。 「貸し出し用って何ですか? 意味が分からないのですが」 「コーヒー1杯の幸せをあなた様に貸し出すのでございます。この店にあなた様が入ってきた瞬間、非常に疲れた顔をしておりました。コーヒー1杯の貸し出しがあなた様に幸運をもたらします。貸したモノは返さなければなりません、つまりはあなた様は再度この店を訪れることになるのです」 困惑した表情で店員のことを見やる私。 「仰っている意味がよく分かりません、コーヒー1杯の貸し出しが何故幸運に繋がるのですか?」 「されどコーヒー。1杯のコーヒー。苦味成分の奥の奥、そこには形として形容することのできない何かが潜んでいるのです」 もう意味が分からなかった。奇人変人を相手にすることは苦手だ。私は席を立ち店をあとにしようとした。 「飲食されないのであれば席代として一千万円をあなた様に要求いたします」 正直気味が悪かった。席代として一千万円。この店員は馬鹿か。 「無料のコーヒーをいますぐにここで飲むか、それとも席代として一千万円を速やか用意するか、この場合二択です、簡単な二択でございます」 黒色の苦味成分を多量に含むアイスコーヒー。毒でも入っているんじゃないだろうか。いささか心配ではあった。 「飲めば。このコーヒーを飲めば帰っていいんですね?」 「はい」 もうヤケクソだった。私はコーヒーの入ったグラスを手にすると、左手を腰にやり瓶牛乳を飲む要領で一気にそれを飲み干した。 味も何も分からない。味を感じる余裕など自身にはなかった。 「お見事な飲みっぷりでした、お味はいかがだったでしょうか?」 「美味しかったです」 私は嘘をついた。 「もう帰ってもいいですか、このあと予定があるので」 「返済期限は一週間以内となっております、くれぐれも返済が遅れることのないように」 こいつは馬鹿か。まだこんなことを言ってやがる。 足早に店をあとにした私。外は気持ちのいい陽気だった。雲の切れ間から太陽の光がサンサンと輝いている。 嫌に不気味な店員だった。これから彼女とデートだっていうのに、最悪な気分に見舞われたみたいで。 お腹の中がタプタプする。一気にコーヒーを飲んだせいだ。昼のランチを控えているっていうのに、本当に最悪な気分だ。 お腹の中のモノの返却期限は一週間。土台無理な話に決まっている。私はおしっこをする生き物だ。 膀胱内に借りたモノを留めておく。そんな芸当できっこない。 お金の貸し借りはほどほどに。モノの貸し借りもほどほどに。 私はこの時知る由もなかった。 貸した人間が絶対的な強者として存在し、借りた人間は弱者として存在する。 ——私は弱者に成り果ててしまった。
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