借り物の器のように

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借り物の器のように

 あなたの前だと私の身体は  借り物の器のように上手く動かない  いつもはおしゃべりに動く口も  今日はじっと閉じたまま  ふたりっきりで嬉しいはずなのに  自分で自分がコントロール出来ない  「そろそろ、帰ろうか」  ぽつぽつ雨が降り出したから  カップの中のコーヒーを飲み干してあなたが言う  カフェの外は次第に夕立  私の心みたいに乱れている  外に出て気が付いた  私は傘を持っていない  あなたとは方向が逆だから濡れて帰ろう  そう思った時、私の身体に、あなたはそっと傘を傾けた  「送るから、一緒に帰ろう」  微笑むあなた  どきどきと鳴る心臓  私は頷く  ぎこちない器を動かして  あなたの前だと私の身体は  借り物の器のように上手く動かない  けれども聞こえる「どきどき」は  確かに私の中から響いている  あと少しの帰り道  雨の音でかき消されてしまいそうな小さな声で私は言った  「遠回りがしたい」  あなたはまた微笑んで、そっと私との距離を縮めた    いつかもっと器用になって  自分自身を上手く動かせますように  借り物なんかじゃない私の全部を  あなたにちゃんと見てもらえますように
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