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東京の都心の中にあるというのに、この洋館の中だけ別世界のようだった。外の騒音が一切聞こえないからだけではないだろう。雰囲気が外とまるで違うのだ。
長い廊下を歩き、応接室に案内される。ソファーに座ると、メイドが紅茶とケーキをワゴンで運んできた。そして優雅な所作で、配膳をする。
紅茶を普段あまり飲まない俺でも、いいお茶だと一口飲んですぐわかった。
「えっと、俺がここに呼ばれたのって」
「メールで書いた通りです。湯上さまのおかげで、レンタルされる夢の質が上がりました。私の友人からも、とても好評で!」
「あ、ありがとうございます」
「それで報奨金のことなのですが──」
来た。現金だが、俺はそのためだけにここに来たのだ。
「夢ではなく湯上さま自身が、私たちにレンタルされませんか?」
「……私、たち?」
「えぇ……悪夢を食らう獏である私たちに」
そう言って「夢解き人」は顔を覆っていた仮面を外した。すると頭部だけが、異形の──獏の姿に変わった。
「ひっ」
俺は小さな悲鳴を上げ、手に持っていたティーカップを手から落としてしまった。「カシャン」とカップは床に落ちて、割れる。
「驚かせてしまいましたね。私は悪夢を食らうと言われている空想上の幻獣『獏』です。『夢合わせ屋』は暇つぶしに始めたビジネスだったのですが……まさか、あなたみたいな逸材に出会えるとは」
「どういうことですか」
「湯上さまの見る悪夢の内容に質は、とてもいい! オルゴール越しでは香り程度しか嗜めませんが、それでも素晴らしいのです。直接食べれば、どれほど美味なことか!」
この部屋には俺と目の前の獏、そしてメイドだけかと思ったが……他にも複数の気配がすることに気づいた。そいつらの視線が、全て俺に向かっていることも。
《クスクス》
《あぁ、彼の悪夢を早く食べたいわ》
《抜け駆けはよしたまえ。儂が先だ》
こいつらが彼が言っていた友人たちなのだろう。
「いかがでしょう? 湯上さまがVIP専用のレンタル品となるのは?」
「それが報奨金ってわけか」
「えぇ、夢をオルゴールにしてレンタルするより、報酬は弾みます」
「……もし、そうなったら俺はどうなる?」
「悪夢を私たちに提供していただくために、ほとんど寝て過ごしてもらいます。もちろん湯上さまの健康のために、食事や運動時間として3~4時間は起こしますよ」
「断る」
そんなの、ほとんど飼い殺しじゃないか。帰るために立ち上がったが、その瞬間視界が歪む。俺は思わず、床に膝をついた。
それを見て、夢解き人が嬉しそうに言う。
「やっと、効いてきましたか」
「何をしたんだ」
「紅茶に、気持ちよく眠れる薬を少々」
迂闊に出された紅茶を飲んだ自分を恨むが、時すでに遅し。床に倒れた俺を、「夢解き人」同様に顔をベネチアンで覆った人々が囲む。
何とか起き上がろうとするが、獏たちからすれば虫が藻掻いているようにしか見えないだろう。相変わらず、何が面白いのか「クスクス」と笑っている。
「何故、足掻くんです。これもあなたが望んたことでしょう?」
「俺が、望んだこと?」
「『誰かから必要にされたい』、『いらないものみたいに扱われたくない』と願っていたじゃありませんか。今、私たちは湯上さまを必要としておりますよ」
夢解き人の言う通り、俺は誰かに必要とされたかった。だったら、これでいいのかも。
「──んなわけ、ないだろ」
何に流されそうになってるんだ。
智華が言ってたじゃないか。俺が見てきた夢は全部「前に進みたい」「自立したい」っていう心の表れでもあるって。
確かに俺はこいつらに必要とされている。
けど、俺は眠りについたままで、それは部屋に引き籠っていた時と変わらない──「停滞」と同じじゃないか!
「俺は、まだ……諦め、たくない。言いなりになんか、ならない」
「その意気だよ。悠生君」
応接間に、一人のベネチアンマスクをかけた女性が入室する。仮面と暗がりでよくわからないが、聞き覚えるこの声は──。
「……智華?」
「どうして、あなた様がここに」
夢解き人が戸惑ったような声で、告げる。
「彼は私の友人なの。それに悠生君が見ている夢に、勝手に介入しないでほしいな」
「人間と獏が友人同士など……」
「おかしい? 文句があるなら、言えばいいじゃない……この私に言えるならね」
薬のせいで意識がぼんやりとしているため、2人が話している内容が上手く頭に入ってこない。
しばらくすると、智華が傍にしゃがみ込んだ。そして倒れている俺の耳元に口を寄せ、囁く。
「さっき言いそびれたけど吉夢の逆、『凶夢』にもちゃんと意味があるんだよ。最悪の事態を夢の中で体験して、現実での対応に活かす……一種の予行練習だね」
「よこう、れんしゅう?」
「うん。悠生君は前の勤めてた会社みたいに搾取されそうになっても、今度は『嫌だ』ってちゃんと立ち向かえたよ……もう、大丈夫」
「でも、おれは……どうしたら?」
謎の怪物である獏たちに、囲まれた危機的な状況は変わらない。智華は幼い子供を褒めるように、俺の頭を撫でた。
「高校生の頃言った話、覚えてる? 『うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと』……現実だと思っているのが夢で、寝ている時の夢が本当かもって話。今この状況を試しに『夢だ』と思って、起きようとしてみてよ」
「……え?」
「だって『夢のレンタル』に『獏』なんて、まるで夢みたいで現実味が無いじゃない……ほら、いいから早く」
俺は目を閉じて、強く念じた。
──起きろ、起きろ、起きろ。
起きろ!
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