レンタル角膜

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 ずっと暗闇の中で生きていくものだと思っていた。そんな自分に光をもたらしてくれたのは、皮肉なことに闇に生きる裏社会の人間だった。    自分は幼い頃、遺伝的疾患により角膜が透明性を失ってしまい目が見えなくなった。遺伝性なので両目ともだ。だから自分にはこの世界の風景がどんなものなのか、そのイメージが頭の中にまったくない。常に闇のなかだ。    そんな自分に光を知って欲しくて、親は自分に角膜移植を望んだ。母もかつて移植手術で光を取り戻していた。しかし角膜移植を受けるにはアイバンクという公的機関に登録している献眼者に、死後(心停止、及び脳死後)、眼球を提供してもらい、角膜移植待機患者としてアイバンクから斡旋してもらう必要がある。つまり誰かが死ねば自分の目には光が宿る。    母の時代には角膜提供者は数多く、待機患者としての待ち時間は少なく費用も安くすんだ。しかし時代の流れでいまや角膜提供者はごくわずかで、待機患者の数に対して提供者の数が釣り合わず、膨大な待ち時間と破格の費用がかかってしまう。光を取り戻すには誰かの死と長い時間と莫大な費用が必要な時代になってしまった。まさにこの世は真っ暗だ。    自分も光の中に生きることは半ば諦めていた。暗闇の中で生きていくのだと。生活は不便だけれど不自由というほどでもない。  幸いというべきか、自分には眼が見えない代わりに、他の人にはない鋭敏な感覚が備わっていた。視覚を補おうと本能が他の感覚を冴え渡らせてくれたのかもしれない。声のわずかな震えの違いで話の真偽が区別できたし、人の感情や体調もおおよそ判別することができた。  他の人には感じられないほんの些細ななにかを手がかりにして、起きた出来事を看取することもできた。ある日父が仕事から帰宅して自分の横を通り過ぎた時、普段とは違う空気の流れを感じた。いつもはピシッと整っているはずの父のスーツの裾が、わずかながらクシャッと折れ曲がっている、自分はそう理解し、さらにそこから仕事に疲弊しきった父が電車で寄りかかるように寝こけてしまった様子がありありと浮かんできた。「お疲れ様」という言葉を添えてそのことを父に告げると、父は驚いたように自分を見つめ、一言こう言った。 「お前には他の人には見えないものが見えているのかもしれないな。見たくないものまで見えてしまっているのかも」    第六感、とまでいうと大げさだが、自分には他の人にはない、わずかな接触で多くのことを感受してしまう、触るだけでなにかと繋がってしまうような、視覚のない代償として特殊な能力が身についていたようだった。    しかし父はそんな自分を不憫と思ったのか、驚くような提案を持ちかけてきた。 「なぁ、角膜をレンタルしてみないか?」
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