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薔薇姫のお遊戯会に終止符を1-1
警視庁捜査一課第二強行犯捜査二係。
人もまばらな昼休み、自席へ戻ると柔和な筈の顔が捜査資料を睨んでいた。
「分っかんないなぁ」
「すっかり行き詰っちゃいましたね」
んあー、と奇声を上げて資料を投げる先輩へ、淹れたばかりのコーヒーを手渡す。
渋い表情で受け取るのは、捜査一課きっての変り者として知られる麻生環刑事——通称タマキさん。俺の教育係だ。
変り者とは本人の性格を指すのではなく、彼の手掛けた事件からついた渾名なのだそう。
「あの人、妙な事件ばっか引くんだよ」
とは鑑識に抜擢された同期の言である。
「ったく……傑もついてないねえ、一課の初現場がこれだもん。一班だけで追えとか鬼だね、鬼」
「はは、これも勉強だと思って頑張りますよ。それにしても——」
視線を落とした先、デスクに散らばる捜査資料は今まさに追っている事件のもの。俺は頭痛の種であるA4サイズのコピー用紙を一枚摘まみ上げ、大きく印字された題目に重い息をついた。
「高校生連続失踪事件……マスコミの好餌になりそうな名前がついちゃいましたね」
「本庁まで上がって来る事件は遍く餌食になるモンでしょ。にしても……ここまで大ごとになったんだ、ただの家出だったら一時間は説教させてもらいたいね」
文句を垂れながらコーヒーを啜る先輩に苦笑する。
家出で済めば可愛いものだ。
投げ出された資料をまとめながら、俺はぼんやりと目を通した。初動から散々読み込んだそれに特別新しい情報は無いようだ。
遡ること約三ヶ月。
『娘が返って来ない』と警察へ相談が入った。近所の交番が対応したものの、翌日になっても少女は帰宅せず。探し続けること数日、家族から捜索願が提出された。
——単なる家出と軽視されてしまいそうなこの一件が、事件の始まりだった。
以後、一週間に一人という頻度で高校生が行方を晦ますようになり、遂にその人数は二桁を超え、漸く一連の事件の関連性が疑われるようになったのだ。
しかし彼ら彼女らが姿を消した場所、在籍校、性別、部活……皆ばらばらである。無論、失踪者たちに面識もない。
「なぁんか後手後手に回ってる感じ。嫌な予感がするなあ」
「ちょ、ちょっと。そういうのは止めましょ、不安になるじゃないですか」
「んな事言ってもねえ……唯一の救いは第二の被害者が出てない点だけでしょ。それも『見つかってない』だけで、実際のところは分からないじゃん?」
「だから! 不穏な事言わないでください!」
「不穏も何も、俺は事実を言ってるだけよ? 第一被害者の失踪は約三ヶ月前、彼女の遺体が発見された事で警視庁が動き始めたのが一ヶ月前。その間、攫うだけ攫って何もしてません、なんて悠長過ぎる考えだと思うけどねえ?」
「んぐ……っ」
言葉を詰まらせる俺に、タマキさんは紙コップを傾けながら続ける。
「最高の終幕は全員を健康な状態で保護して、犯人を確保すること。最悪の終幕は全員死亡の上、犯人逃亡。そんなとこじゃない? どんなに残酷なものであっても、可能性から目を背けちゃ駄目よ、中津刑事さん?」
「そんなの……分かってますけど……」
頭で理解する事と心で納得する事は、全くの別物だと思う。
中途半端にまとめた捜査資料の角を揃えつつ、俺は悪足掻きするように後を繋いだ。
「せめて小さくても共通点があれば、足掛かりになるかもしれないのに……」
「年齢十代、現役高校生、以上。嫌になる」
「ならないでください。神隠しだの何だの好き勝手書かれ始めてますし、いい加減糸の一本も掴みたいです」
「神隠しぃ?」
きょとんとした顔で反芻するタマキさんに、この地獄耳が珍しいと瞠目する。
「ええ。ゴシップ誌にそんな事が書かれてましたよ。神隠しだなんて時代錯誤だとか警部たちは失笑してましたけど」
「時代錯誤、ねぇ……そうとは言い切れないんじゃない?」
「……タマキさん?」
突如声を落とした先輩刑事はオフィスチェアに背を預けると、天井を仰ぎ語り始めた。
「年間八万人。この数字、何だか知ってる?」
「い、いえ……ピンと来ません」
日本の年間行方不明者数だよ、とタマキさんは低い声で嘯く。
「信じられる? 至る所に『眼』があるこの時代に、ふらっと姿を消して戻って来ない人間が、毎年八万人も居るんだ。神隠しが実在してもおかしくないと思うけどなあ」
「はあ……そうですかね」
極論ではないか——?
頭を過る反論は知らぬ振りだ。討論するべき内容でもない。
気の抜けた返事は聞こえているのか、届いていても聞く気が無いのか。タマキさんは会話を放棄し、壊れたおもちゃのように同じ単語を口で転がす。
「神隠し、神隠しかぁ……傑、ちょっとそれ貸して」
「へ?」
天井を見上げたまま空のコップを弄んでいたタマキさんの手が、捜査資料を求めて動く。
請われるまま差し出せば先までとは打って変わって、素早い動きで捲り始めた。
突然の事にぼけっと様子を見守っていると、一通り資料を確認し終えた先輩刑事が唇を摩りながら独り言ちる。
「んー……、これはあいつらの得意分野かもしれないなぁ……」
「あいつら?」
「うん、勘だけど。早速行こう」
「い、行くって何処にです?」
席を立ち、ジャケットを羽織るタマキさんがにこりと笑った。
「——骨董屋」
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