1話

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生活に最低限必要な物以外、殆ど何も置かれていない6畳2間の部屋。決して新しくない、どちらかと言えばボロいと表現されるこのアパートの部屋を借りたのは先月の話だった。 モデルから俳優に転身して4年――有難い事に、イケメン俳優として注目してもらえたおかげで仕事は順調だ。だけど、注目を浴びれば浴びる程に、周囲が”優真(ゆうま)”としての自分に抱くイメージと、”柏崎勇馬(かしわぎゆうま)”という本当の自分とのギャップにストレスを感じるようになった。 その1つが、女性とのスキャンダルだ。いつ頃からか俺には、女性との噂が絶えない色男というイメージが付いて回るようになった。モデルだの女優だの、俺が喰ったとされる女の数を数えた時、俺は色欲の化身か何かか?とツッコミたくなった程だ。 どうやったらこんな嘘ばっかりでっち上げられるのかと憤りも感じたが、これも戦略として仕方がないというのも理解はしている。名前を売るため、作品に注目してもらうための暗黙のルール。 ただ、理解しているのと納得しているのとはまた別問題だ。俺は誰ともそんな関係を持ったことは無いし、女遊びもしたことが無い。でもそんな事を言うわけにもいかず、行き場のない不満が溜まった結果、誰も知らない場所で1人の時間が持ちたいとこのアパートを借りた。この場所は、マネージャーすら知らない。 そんなストレスの原因である暗黙のルールが、また適用されたらしい。 マネージャーから事前に聞いていた記事を確かめるために買ってきた週刊誌。その表紙には、デカデカと”優真、また共演女優と深夜デート”という文字。 またってなんだよ。俺は1度も共演した相手に手なんか出してない! この部屋では素の自分でいるせいか、いつもは抑えている感情が湧き上がってくる。 そのままページを捲ると、”優真、共演女優と深夜にホテル街デート”の見出しが見えた。記事の内容を読んでいくと、どうやら打ち上げの後に大通りまでの近道としてホテル街を歩いている所を撮られたようだ。当然周りには他の関係者も沢山いたが、上手く2人だけに見えている。というよりは、2人だけで写るように周りの人間も協力しているというのが正解なんだろうな。やたらと話しかけてくると思っていたが、きっとあの女優もこのつもりだったんだろう。最近、出演作の視聴率が低迷気味だという話も聞いたし。 記事には、2人は親密そうに歩いており、周りを気にしながらそのままホテル街に消えた――と書いてある。 本当にまあ、毎回毎回…… 「ふざけんなよ……俺に出来るわけないだろ!」 形容しがたい感情が沸き起こって、思わず雑誌を畳に叩きつけた。 女優でもモデルでも、美人だろうが可愛かろうが色気があろうが関係ない。例え相手が迫ってきたとしても、絶対に俺はその女性と関係を持つことは無い。俺には”女を喰う”事なんて出来ない。 「……ん?」 玄関から物音がしてそっちに意識を向けると、玄関ポストに何かが入れられているのが見えた。またチラシの類だろうと思いながら近付くと、それは1通の茶封筒だった。明らかに書類関係に見える。 「ここの住所は誰にも伝えてないはずなのに、何だ?」 不思議に思いながら手に取ると、そこに書いてあるのは自分の名前では無かった。 「天音紗知(あまねさち)様……? 隣の部屋宛か」 間違えて家に投函したんだな。ここが空き家でこれが大事な書類ならずっと見つからないぞこれ。それに、俺が悪人なら間違いなくこの個人情報利用されるな。まあ、俺は悪人じゃないし、隣の部屋のポストに入れに行くか。 そのままサンダルを履いて隣の部屋に向かうと、角部屋のその部屋からは少し物音が聞こえてきて、どうやら住人が中にいるらしい事が分かる。 さっさとポストに入れて部屋に戻ろう――そう思った時、急に玄関ドアが勢いよく開いて、見事に俺にヒットした。 「いっ……てえー……」 「え?! ご、ごめんなさい! まさか人がいると思わなくて! 大丈夫ですか?」 「大丈夫なわけ……」 ないだろ!と言おうとしてハッとする。あまりの痛さに怒鳴りそうになったが、自分に気付かれた時にちょっと面倒な事になるかもしれない。 「本当にごめんなさいっ。バイトに遅れそうで慌てちゃってて……あの、家に何か用事でしたか?」 「……これが間違って入ってたので。隣だから入れ間違えたみたいで」 「あ、本当だ。私宛。態々すみません。……あの!」 意を決したようなその表情に、一瞬身構える。ヤバいな、気付かれたか? 「本当に申し訳ないんですが、今私時間が無くて……また今度お礼と謝罪に伺うので、今日はこれで失礼してもいいでしょうか?」 「……は? それはまあ別にいいですけど……というか、別にお礼も謝罪も……」 「ありがとうございますっ。本当にすみません。絶対に今度お伺いするので……それじゃあ失礼します!」 慌てた様子でバタバタと走り去る彼女を、呆気に取られながら見送る。 本当に時間無かったんだな……というか、全然気付かれてなかった。別に変装とかしてるわけでもないのに。 俳優としてそれはどうなのか……と若干のショックを受けながら、この場所を失わなくて済んだという安心感の方が大きかった。
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