左手屋

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マンションの鍵を開け、電気を点ける。取り込んだままの洗濯物と後で洗おうと思っていた食器が俺を迎える。中年男性の一人暮らしなんてこんなものだ。とりあえずキッチンカウンターの上に紙袋を置いて手を洗う。 そのとき、ごん、と音がして慌てて音の発信源を見る。不安定なところに置いたからだろう、紙袋が倒れて落下してしまっていた。横倒しになった紙袋から風呂敷が、そして風呂敷の隙間から左手が覗いていた。 「ひっ」 上ずった声が出た。風呂敷から覗く左手が、あまりにもリアルに見えたからだ。タオルで手を拭いて、恐る恐る近づく。 「う、うわあ」 そこにあったのは、少し骨ばった指に薄いピンク色のマニキュアをした、女性の左手だった。 気味が悪い。それが最初の印象だった。しかし二日間避け続けて真っ白な記事を提出するわけにもいかないので、汚物を触るような手つきで風呂敷を開く。出てきたのは、やはり青白い女性の手。手首の関節の少し先から切断されたかのような、人間の手だった。俺は夢を見てるのか?さっきのゴムの塊は? 必死に1時間前の記憶を辿る。店員がゴムの塊を包む。それを紙袋に入れて渡す。「またのお越しをお待ちしております。」店員の向こうで異様に大きな置き時計の振り子が揺れる─── あれだ。きっとあれが催眠術かなにかの装置だったのだろう。そして俺は今起きながらも夢を見ているような状態なのだろう。風呂敷の上に鎮座する左手を眺める。あれ。 左手の手の甲、斜め左下あたりに、ほくろがあった。ほんのりピンクに染まった爪は縦と横の比率が同じくらいで丸っこく、まるで。 『花びらみたいな爪でしょ』 『そんな、ロマンチックな』 古い記憶の蓋がギシギシと音を立てて開いた。 「翔子」 震える声で呟いた俺は、翔子の左手に自分の右手を重ねていた。
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