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お茶を飲み終え、カコはシンクに立っていた。
食事の後は、片付けだ。
洗い物の山を前に、スミさんはてきぱきと説明を加えた。
「洗剤はここにあるけど、これは使わない方が良いです。洗剤を使うと、よく濯がないと成分が食器に残っちゃうから。日本人は平均して六年間で洗剤を一本食べています。汚れを落とすのにはお湯で十分。洗剤は環境にも、人にも悪い。覚えておいてください」
そう言って、スミさんはカコに布切れを渡した。これで食器を洗うらしい。
「目が粗いから、ちょっと濡らして擦れば汚れが落ちます」
「なるほど……」
半信半疑のまま、カコはその布で皿をこすった。見た目には綺麗になっているけれど、本当にこんなので洗えているのだろうか。
「アワアワにすれば汚れが落ちるというのは間違い。テレビやら新聞やらでそういう風に洗脳されているだけで、企業の戦略に乗せられているだけです」
スミさんが言う。心の内を見透かされたようで、カコはやや極まりが悪くなった。スミさんはどうやらペシミストらしい。
一通り片付けを終え、二人は再び一階へ下りた。
カコの寝泊まりする部屋は、母屋から十メートルほど離れたところにある旧館らしかった。
真っ暗な中庭を、懐中電灯の明かりを頼りに進んで行く。飛び石をたどり、扉に到達し、玄関へ足を踏み入れる。昭和の匂いに満ちた、時間が止まったような、何年も前に誰かが住んでいたが、忽然と姿を消して以降は誰も使うことは愚か、足を踏み入れることさえもしていない。
まさにそんな雰囲気が漂っていた。
「じゃあ明日の朝、八時に母屋に来てください」
「わかりました。……あの」
言葉を飲み込む。Wi-Fiのパスワードを訊きたかったのだが、なんだかこの環境でネットのことに触れるのはタブーであるような気がしてならなかった。
こういうことは珍しくない。空気を読むといえば聞こえはいいが、必要なことを訊きだせず、結局あとで後悔する。後悔することはわかっている。わかった上で、しかし勇気が欠如している。
「おやすみなさい」
ガタンと戸が閉まる。
一人玄関に取り残されたカコは、迫りくる静寂と孤独と寂寥の手から逃れるように階段を駆け上り、二階の和室に飛び込んで襖を固く閉ざした。
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