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『ヒラメキ』というのはね、これは天啓とも言うが決して天の神様が耳打ちをしてくれる訳じゃあない。そうではなくその人物が過去に見聞きしたり経験したことの集大成が突如として仕事をした結果なんです。ありとあらゆる計算の過程をすっ飛ばして、結論だけが表に出てくる。それがヒラメキの正体。
だから、努力を怠った者に『ヒラメキ』が訪れることはありません。
つまり、益田八段が我々の想像を絶するヒラメキを有するのだとしたら、それは我々の想像を絶する影の努力があったという証左なんですよ。
何て言うかなぁ。我々も確かに努力はするんです。研鑽を続けているんです。何しろプロですから。
でも『それ』は、盆栽で例えるならば枝葉の末端を切り揃えているに過ぎんのです。根幹を見ていないというか。
しかし彼は違う。
彼の努力とは、その枝葉が将来にどう伸びるのかを長期的に予測してハサミを入れるような物なんです。だから枝葉末節ではなく私たちに手の出せない『枝の根元』にハサミが入れられる。彼にはその小さな木が5年後にどう成長するのかイメージができているんでしょうね。
まさに視点が違うというか。
いやはや、やらなきゃよかった。『才能のレンタル』なんて。
お陰で徹底的に打ちのめされる結果になりましたよ。『道理で勝てないわけだ』と。
彼と歳の似ている棋士なら、或いはそれを機に軌道修正を図ってある程度彼に接近できるかも知れない。だが、恐らくそれでも『遅い』でしょう。益田八段が将棋の世界に飛び込んだのは、若干5歳のときだったと聞きますし。
で……私が出した結論は『棋界を去る』ことでした。
相撲もそうですが、『自分はもうこれ以上勝てない』と心に悟ってしまったら、もう土俵に上がるべきではない。それは対戦相手に対して失礼じゃないですか。これは私の矜持の問題なんです。
『虎は死して皮を留め、人は死して名を残す』と言いますよね。私もね、皮を残す番が来たということなんです。名前なんざどうでもいいですけどね。
後はその皮を糧にして新たな棋士が育ってくれるのを、こうして待つのが私の仕事なんです。
そのためには、後進のために『場所』を空けてやる必要があります。益田八段に噛み付けるだけの牙を持った新時代の虎が座るための場所を。
いずれ益田八段の『才能』を学び、吸収した新時代の棋士たちが台頭してくることでしょう。そうなれば彼といえどその地位は安泰ではなくなる……そうなったとき、彼がどういう決断をするのか、どういう戦い方をするのか。
私は、ワクワクしているんですよ。
そしてもしも彼が新たな時代を勝ち抜く『新たな才能』を体得する日がきたら。
私はもう一度、彼からその才能をレンタルしてみたい。
はは、それまでは死ねませんね。ええ、実に楽しみでなりません。彼に……益田八段に、是非ともそうお伝えください。
完
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