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第2ピリオド
駅まで続く昼下がりの大通りには、遠くに陽炎が揺らいでいる。
人波に乗るようにして、雅は響弥と二人でバス乗り場へと向かって歩いていた。
右手に「公園」の文字が見えて、大きな噴水から水が不規則に吹き上がっている。
「寄っていかないか?」
そう言ったのは、響弥だった。
彼からの誘いなんて珍しいから、雅はすぐさま「うん!」と返事をした。
焦げつくような陽射し。蝉がけたたましく鳴いている。
雅と響弥は近くあった自販機でジュースを買うと、木陰の下のベンチに腰を下ろした。
足元のアスファルトは、熱を蓄えたまま。
視線の先の噴水では、子どもたちが暑さをものともせず、楽しげな声を上げながら、服を着たまま水浴びをしている。
聞こえてくる水の音が、少しだけ涼を感じさせた。
雅はペットボトルの蓋を開けた。
炭酸の連なって立つ気泡が、宝石のかけらみたいに煌めく。
一口飲んだ途端、止まらない勢いで次々と喉に通したから、雅はむせた。
急な咳に驚いたのか、響弥が慌てたように声を上げた。
「どうしたっ? 大丈夫か?」
眉を顰めてこちらを窺う響弥は、額から汗が伝っている。
「ごめん……。ジュースが、変なところに、入っちゃっただけ。……大丈夫」
咳払いをしながら雅が笑って見せると、彼は心底安心したかのように、表情を緩めた。
響弥がベンチに背中を預けた。
彼は抜けるような青空を、目を細めながら見つめる。
雅も釣られて、ベンチに背をもたれた。
大きな入道雲の端が、熱の籠る風に乗って少しずつ流れている。
響弥はいつもの寡黙な彼に戻っていた。
けれど、雅は何も話さなくても「気まずい」と感じたことはない。
不思議な感覚。出会ってから三ヶ月と少しぐらいだけれど、彼とは幼い頃から一緒にいたように錯覚する。
「……雅。ありがとな」
空を見つめながら、不意に響弥が呟いた。
今日雅は、お礼を言われることなんてしていない。
思い当たることと言ったら、響弥の公園に寄る誘いに乗ったぐらい。
雅は背もたれから起き上がると、首を傾げながら響弥に返事した。
「えっと、どういたしまして……?」
響弥が小さく声を漏らして笑う。
「分かってないな?」
こちらに視線を向けた響弥に、雅は言葉の代わりに頷いた。
再び空を見つめた響弥は、目を閉じながら深呼吸をするように静かに息を吸う。
熱風が、細い枝ごと緑の葉を揺らす。
蝉が鳴く音量を上げて、水辺で遊ぶ子どもたちの賑やかな声に溶け込む。
「今日、雅と一緒に、先輩たちの試合を観てよかった」
響弥はベンチから背中を離すと、雅へと体を向けた。
「俺は、今まで勝つことだけのフェンシングしかしてこなかった。それが全てだったし、それでよかった」
不意に、響弥の顔が曇る。
「でも、俺は、なんのためにフェンシングをしているのか、分からなくなったんだ」
初めて響弥が自分のことを、胸の内を話す姿に、雅も自然と背筋が伸びる。
「フェンシングが好きなのかも曖昧で、本当は、競技を辞めようと思ってた。部だって、親との約束で入っただけで……」
響弥は静かに瞬きをすると、次にはなぜか微笑んでいた。
「今日、俺にも見えたよ。……お前がいつも言ってる、『騎士』ってやつが」
爽やかな風が、青空へ吹き抜けた。
音も熱も、一瞬消える。
震えるような、募るような、胸の高鳴りを抑えることができない。
言葉でしか知らなかった『共鳴』を、雅は今、心と体で理解した。
再び、響弥がベンチへ背を預ける。
留まる白雲へと視線を向けるように、響弥は一点を見つめた。
「俺さ、フェンシングが好きなお前と一緒に部活してるうちに、もう一度フェンシングがしたくなった」
雅は途端に、ベンチの座面に両手を突く。
「それじゃあ、響弥……」
響弥の顔を覗き込むように、雅は彼の言葉を待った。
不意に、響弥の口元が緩む。
雅は見逃さないように、聞き逃さないように、彼の唇を見つめた。
響弥は今度は表情を緩めて、雅へと視線を合わす。
「今日から、よろしく」
彼の心からの言葉に、雅は笑みが零れるのを止められない。
「うん、うん! 今日からよろしくね!」
響弥は照れを隠すように、結露したペットボトルを持ち上げると、蓋を開けてジュースを飲んだ。
雅も笑顔のまま、彼に釣られるようにして自分のペットボトルの蓋を開けて、ジュースを一口飲む。
夏空が、いつもより青く、眩しく見える。
灼熱の暑ささえも忘れそうになるくらい、胸が弾んで踊る。
雅は蓋を閉めると、響弥の横顔を見た。
ジュースを喉に流し込む響弥が、ようやく
同年代の子に感じて、雅は自然と頬が緩む。
「……響弥」
不意に見知らぬ声が聞こえて、雅は視線を移した。
隣に座る響弥の前に、他校の校名の入っているTシャツとジャージを着た人がいる。
響弥が呟いた。
「ハルト……」
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