第3ピリオド(最終話)

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第3ピリオド(最終話)

 響弥に「ハルト」と呼ばれた人物は、眉間(みけん)に深く(しわ)を寄せていた。 「雅。(おお)()波瑠都(はると)だ。いつも雑誌に()ってるだろ? で、波瑠都、こちらは澤野雅。俺の友だちで仲間」  響弥に言われて、雅は思い出す。  フェンシング専門誌に幾度(いくど)となく登場していた同年代のフェンサー「大屋波瑠都」。  彼は九歳で競技を始めると、(またた)く間に才能(さいのう)が開花して『神童(しんどう)』と呼ばれた。  世界大会に出場すれば、(つね)に二位以上で、今では『鬼才(きさい)』の異名(いみょう)で知られる、雅たちと同じ高校一年生。  今春(こんしゅん)行われた世界ジュニアの大会で、彼はエペ個人で連覇(れんぱ)を果たした。  そして(こん)インターハイ、彼が三種目全ての個人の優勝者でもある。  彼は、競技初心者の雅も自然と尊敬(そんけい)する、同学年のスター。  雅は実物(じつぶつ)を目にしたのも、ましてその本人と会うだなんてことも、今日が初めて。 「何やってんだよ、……お前」  波瑠都は茶色く照った髪を()き上げると、綺麗な顔立ちを(ゆが)めて、(にら)むような目つきで響弥を見下ろしている。 「何って……、ジュース飲んでる」  響弥は手の中にあったペットボトルを持ち上げて、波瑠都に見せた。  雅にでも分かる。波瑠都は響弥に「今何をしていたか」を聞いた訳じゃない。  試合に出ていない「理由」を(たず)ねている。 「真面目(まじめ)に答えろ」  波瑠都は声を低くして言ったあと、苛立(いらだ)ちをごまかすように、頭を掻いた。  響弥はペットボトルを下げると、(ひざ)(ひじ)を乗せる。 「雅と、先輩たちの試合観てた」  ペットボトルを手の中で回しながら、響弥が答えた。 「んなこと、聞いてんじゃねえよ」  波瑠都はそう言いながら、響弥の手中(しゅちゅう)からペットボトルを取り上げる。  (するど)い目つきで、波瑠都が響弥を見ていた。 「波瑠都……」  響弥は(こま)ったような表情を浮かべて、目の前の波瑠都を見上げている。  雅は二人の様子に、固唾(かたず)()む。  いつのまにか、風は止まっていた。  蝉の声はさらに分厚(ぶあつ)くなり、まるで耳鳴りのように聞こえる。  籠るような暑さは()して、(あた)り一面を覆い続けている。  視線を下げた響弥の額から、汗が流れた。  波瑠都は一見(いっけん)涼しげな顔をしているけれど、紫色のTシャツの首回りが(うす)()れている。  均衡(きんこう)(やぶ)ったのは、波瑠都だった。 「なんで、試合に出てねえんだよ」  波瑠都は睨みながら、響弥を見下ろす。  響弥は一つ息を()くと、顔を上げた。 「まあ……、色々あったんだ」 「答えになってねえよ」  間髪(かんぱつ)入れずに、波瑠都が声を返す。  再び視線を下げた響弥は静かに息を吐いて、片眉(かたまゆ)を釣り上げながらこめかみを掻く。 「答えろ、響弥」  波瑠都が詰め寄った。  彼の持つ響弥のペットボトルから、結露が(したた)ってアスファルトに落ちている。    雅はたまらず立ち上がった。  響弥と出会って数ヶ月だけど、ようやく彼が心の内を話してくれたことを考えると、どれだけ彼が(なや)んで苦しんでいたか、雅にだって痛いくらい分かる。  雅は震えそうになる唇を抑えながら、声を(はさ)んだ。 「……響弥は、フェンシングが好きだから」  途端に、波瑠都の視線が雅に移る。  彼は目を座らせながら、口を開いた。 「なんだお前。関係ないやつは(だま)ってろ」  彼の言葉に、雅は瞬時(しゅんじ)に大声で反論(はんろん)する。 「関係ある! ……俺は響弥の仲間だから」  雅は生まれて初めて、(こぶし)(にぎ)っていた。  唇と膝が震え出したから、雅は目を閉じて深呼吸をする。  息を吐いたあと、雅は言葉を続けた。 「響弥は、今日から俺と、ううん、俺たちとフェンシングをするんだ」  雅は真っ直ぐ、波瑠都を見つめた。  波瑠都が髪を掻き上げる。  彼は鼻で笑うように、雅へと問いかけた。 「だから?」  雅は自分たちのフェンシングへの気持ちをバカにされたような気がした。  意図(いと)せず、雅は波瑠都に啖呵(たんか)を切る。 「響弥は、大屋くんに負けたりしない!」  生温(なまぬる)い風が、吹き抜けた。  汗が背中を流れていくのが分かる。  雅は息が上がって、再び深呼吸をした。  すると、響弥がベンチに座ったまま、低い声を(はっ)した。 「今日から、競技に戻る」  響弥は真剣な眼差しで波瑠都を見つめると、口角(こうかく)を上げる。  急に、波瑠都は顔を(そむ)ける。  雅には、彼が唇を()んだように見えた。  波瑠都は再び、響弥と向かい合う。 「お前を(たお)すのは、この俺だ」  彼はそう言い(はな)ち、手に持っていたペットボトルを響弥へと投げ返すと、背中を向けて()っていった。  蝉の声が、再び周囲の音を掻き混ぜる。  雅はベンチに腰を下ろすと、(ひか)えめに響弥の横顔を見つめた。  下を向く響弥の表情が、不意に緩む。  彼は手元のペットボトルを何度か手の中で揺らしながら、雅へと呟く。 「……雅」 「うん?」  雅は響弥へと首を傾げた。  響弥は手中のペットボトルの蓋を開けて、ジュースを一口飲んだ。  蓋を閉め直すと、響弥は雅の方へ体の向きを変える。 「(あらた)めて、今日からよろしくお願いします」  そう言い終えた響弥は笑顔を見せながら、ペットボトルを剣に見立てて雅へと構える。  途端に、雅の全身を武者(むしゃ)(ぶる)いのようなものが()け抜ける。  雅は(いそ)いで自分のペットボトルを構えて、響弥に向ける。  (おの)ずと、雅は笑みが込み上げた。 「こちらこそ、よろしくお願いします!」
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