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嫌な奴レンタル
ミツルは、『嫌な奴レンタル』でレンタルスタッフをしている。
多種多様なレンタルサービスが流行し、洋服、家具、ワーキングスペースなどいろいろな物を借りられる時代だ。
今や、レンタル彼氏・彼女やレンタル家族なんていうサービスも存在する。
そんな時代の流れに乗って、『嫌な奴レンタル』が開業した。
その名の通り、嫌な奴をレンタルして一緒に時間を過ごすことができるサービスだ。
一体どこの誰が、わざわざ嫌な奴をレンタルするのかと言う声が聞こえてきそうだが、確かにその通り。
実際のところ、『嫌な奴レンタル』事業の他に、モデルや声の仕事などのタレント的な事業を含めて収益を上げている状況だった。
そうやって、8人のレンタルスタッフと2人の事務スタッフ、そして何でもやる社長という、総勢11人の会社が生き残っている。
今日は、昼過ぎから仕事の予定が入っていた。客との待ち合わせ場所が近くだったため、先に事務所に顔を出すことにした。
雑居ビルの7階にある小さな事務所に入ると、社長が一人で事務仕事をしていた。
事務スタッフの2人は昼食にでも出ているのだろう。
「おはようございます。社長」
「おはよう。ミツルは今日もいけてるな!」
「おす」
社長はいつも何かしら褒めてくる。
いつ会ってもおしゃれなスーツを着こなし、銀縁眼鏡の奥に見える細い目のせいで、何となく胡散臭い印象を受ける人だ。
言っていることが全部嘘に聞こえることがある。まあ、嘘だとしても悪くない気分になるから文句は言わない。
「ミツルの今日の予定は……。へえ、ちょっと難しそうな依頼者だな」
業務管理システムで管理されているミツルの予定を見て、社長が言った。
「難しくない依頼なんてないですよ」
「そうか? 友達とけんかしてむかついたから1発殴らせろ、とかは楽だろ?」
「ああ、それはわかりやすいですね。でも、社長は殴られ慣れているから楽でしょうけど、僕は楽とは言えないですよ」
「そういうものか。なあ、いつも言っているが、何かあったらすぐに言ってくれよ。俺のこの分厚くて広い胸に飛び込んでこい! レンタルスタッフが嫌になったらいつでも休んでもいいんだぞ。ミツルなら事務作業でも営業でもなんでも任せられるからな」
「はいはい。わかってますよ」
社長のいつもの軽口に肩をすくめて、スタッフ用の控え室に移動した。
こんな態度をとっても社長はいつもの笑顔を浮かべたまま仕事に戻るだけだ。気楽でいい。
控え室のソファに沈み込んで、待ち合わせの時間まで暇をつぶした。
14時に事務所最寄りの駅前にあるカフェで待ち合わせることになっていた。
5分前に駅に着くように移動し、カフェが見える場所で人込みに紛れられるベンチに腰掛ける。
待ち合わせの相手がカフェに入るのが見えた。
スマホから業務管理システムを起動して依頼者の情報を確認する。
小宮麗菜。21歳。近所の女子大の3年生。彼氏と喧嘩して、友人に勧められてサービスを利用しようと思った、とのことだった。
添付されていた写真の印象と変わらず、長い黒髪を一つに結んで落ち着いた色の服を着た女性だった。
都合の良いことに、ここから見える席に案内されたため、そのまましばらく様子を見る。
飲み物が運ばれてきて、ガムシロップとミルクを入れて少し飲んだ。
約束の時刻を過ぎた頃から何度も腕時計を確認し始めた。結構、せっかちな性格のようだ。
ミツルは待ち合わせの時刻を10分過ぎたことを確認して、カフェに入る。
麗菜の前に何も言わずに座ったミツルは、注文を取りに来た店員にいちごパフェを頼む。
「え? あの……。レンタル店の方ですか?」
麗菜が困惑して問いかけて来た。
「うん。『嫌な奴レンタル』のミツルです。今日はよろしく」
「あ、……はい。よろしくお願いします」
遅刻してきたことに対する苦言を言いたそうな顔をした麗菜だが、何も言わずに下手な笑顔を浮かべて会釈した。
それを見て、ミツルは彼氏にも言いたいことを言わずにストレスを貯めて喧嘩したのだろうかと考える。
ミツルは、目の前に置かれたイチゴが大量に入ったパフェをゆっくりと楽しむ。
コーヒーを少しずつ飲みながら、そわそわした様子を見せる麗菜をあえて気にせずに、パフェを食べ終えた。
麗菜から話しかけてくることもなかった。
あまり自分から話題を提供するタイプではなさそうだ。ただ、まだ人見知りしているだけの可能性もある。
「そろそろ出る?」
俺の問いに頷き、急いで残りのコーヒーを飲みほした麗菜が立ち上がる。
「俺、外で待ってるから」
『嫌な奴レンタル』のサービス規定では、レンタル彼氏などのサービスと同様に、飲食代などの費用はすべて客が払うことになっている。
麗菜が慣れた様子でクレジットカードを取り出したのを見て、外に出る。
依頼時に麗菜が記入したスケジュールでは、この後は映画を観て、夕食を食べて解散という流れになっていた。
会計を終えた麗菜が店を出て来たため、ミツルは特に何も言わずに映画館に足を向ける。
麗菜は黙ってついてきて、つまらなそうな表情を浮かべながらも話しかけてくることはなかった。
しばらくそのまま歩き、まもなく映画館に到着するという頃に話題を振った。
「麗菜さんは何学部?」
「え? あ、はい、文学部です」
弾んだ声で麗菜が答えた。
「日本文学科で、古典から近代文学までいろいろ学んでいるんです」
「へえー」
俺の適当な相槌を気にもせず、楽しそうに文学について語り出した麗菜の声をBGMにして、映画館まで歩いた。
一人で語れるタイプだったのは想定外で、話しをちゃんと聞かないことで嫌な奴と思われようとした策は失敗に終わった。
映画館に到着し、どの映画を観るか決めることになった。
なかなか決断しない麗菜を観察し、一番好きじゃなさそうなホラー映画を観たいと主張した。
「ホラーですか? アクションのほうが……」
「どっちでもいいよ。俺はホラーがいいけどね」
「あ、それならホラー映画で」
予想通り、麗菜は俺の意見を尊重して、ホラー映画のチケットを買った。
身を縮こまらせて、ほとんど目をつぶっている麗菜を横目に、ミツルは映画を楽しんだ。
主役の若者たちが何度も悲鳴を上げる、高頻度にびっくりシーンが展開される映画で、麗菜はその度に身体を強張らせていた。
映画が終わり、少しふらついている麗菜を連れて、今日の最後の予定である夕食へと向かった。
嫌な奴と思われるために、何を食べたいかで揉める策を用意していたが、ふらふらしながらも文句の一つも言わずについてくる麗菜の姿に、さすがのミツルでも何も言えなくなっていた。
目についた無難なイタリアンレストランに入り、適当にパスタのセットを頼んだ。
出されたパスタをさっさと食べ終えて、食後のコーヒーを飲みながら、麗菜がゆっくりと食べているのを眺めていた。
半分くらい食べたところで口火を切る。
「麗菜さんは、何で『嫌な奴レンタル』を利用しようと思ったの?」
「え? えっと……。友達に言われて」
「彼氏と喧嘩して、とか書いてなかったっけ。依頼してくれたときに」
「あっ、はい。彼氏と喧嘩して落ち込んでて、友達に話したら『嫌な奴レンタル』を使ったら彼氏の良いところがわかるようになるかもよって」
思ったとおりの理由だ。どう言ったら麗菜を嫌な気持ちにさせられるか考える。
「それで、彼氏の良いところはわかったの?」
「えっと……」
「ゆっくり考えていいよ」
麗菜もパスタを食べ終え、コーヒーが来るのを待つ間に再び尋ねた。
「彼氏の良いところ、見つかった?」
「私の彼氏でいてくれることくらいでしょうか。良いところ、考えてみたんですけど、悪いところしか見つからなくて」
「そう?」
「彼、いつも自分の話しばっかりで、私の話しを聞いてくれることってないなって思ったし、今日の映画のときみたいに何かを決めないといけないときは、何でもいいから私に決めてっていうのに、つまらなかったとか平気で言うし、お店を決めたりするのも全部、私任せで……」
「ふーん。あのね。君も良くないと思うよ」
驚いて息を呑んだ麗菜に、重ねて言葉をぶつけていく。
「一方的にならない会話の仕方を練習していったら良いと思う。意見を出し合ってお互いが納得する選択を出来るようになったら良いよね」
「え? え?」
「もう一回言おうか? 君は彼氏に対する不満を並べたけど、端的に言えば、君にも問題があるよねっていうことだよ」
黙ってしまった麗菜は、ショックを受けた顔をしていたが、数分後には顔を赤く染め、明確に怒りの感情を表した。
「そろそろ時間だから、出ようか」
俺の言葉を受けて、乱暴に立ち上がった麗菜が会計に向かった。
店を出て、近くの公園で対峙する。
「『嫌な奴レンタル』のご利用ありがとうございました。無事に嫌な気持ちになってくれたみたいで良かった」
麗菜が抱えきれない感情に身を震わせる。
「1回叩いていいよ。サービスの一環だから、遠慮なくどうぞ」
麗菜に近づいて頬を差し出す。ためらって一歩、後ずさる麗菜を焚きつける。
「叩いていいって言ってるんだから。ほら、どうぞ」
ミツルの言葉に追い詰められて、顔を上げた麗菜が右手を上げる。
夜風を切り裂いた手が、ミツルの頬で乾いた音を立てた。
彼女なりの全力で叩いたのだろうが大して痛くもない頬を、ことさら痛そうに押さえて見せる。
「やればできるじゃないですか。彼と一緒に成長していけるといいね」
「……っ」
言葉にならない感情が体内で暴れている様子の麗菜が帰って行った。
「はああ。疲れた。……まあ、それなりにうまくできたかな」
大きく息を吐いて、こぼした独り言が夜空に吸い込まれた。
スマホで業務完了の連絡を入れ、せっかく事務所が近いのだからと、少し休んでから帰ることにした。
事務所には、社長と事務スタッフが1人いた。
「おう、ミツル! グッジョブ! 控え室にお菓子とジュースがあるぞ」
社長が元気に迎えてくれた。
「おす」
事務スタッフにも軽く声をかけて控え室に入り、ソファで横になった。
冷凍庫から取り出した保冷剤をハンカチで包んで頬を冷やす。麗菜の感情にあてられて高ぶった神経もついでに冷えて落ち着くのを期待して身体を丸める。
過去の記憶が断片的に脳裏に浮かんでくる。
「変な子ね」という親の言葉。
ミツルの一言で凍りつく教室の空気。
世界中に蔓延する暴言と暴力。
頬の痛みと「この冷血男」という叫び声。
息が詰まって目を開けた。
冷蔵庫のモーター音が小さく鳴っているだけの静かな控室にいることを理解する。
柔らかくなってきた保冷剤を冷凍庫に戻し、額に浮かんだ冷や汗をハンカチで拭う。
冷蔵庫横の棚に並べられたいくつかの菓子の中からブドウ味の飴を取り、袋を破って口に放り込んだ。
脳を刺すような甘さに元気をもらって家路につく。
早く寝よう。明日は小さなイベントの司会進行の仕事が入っている。
翌朝、郊外のイベント会場に向かう電車の中で、メールを受信した。
『嫌な奴レンタル』では、サービス利用後に任意で感想を送ってもらうことになっている。
麗菜からの感想だった。
深呼吸して内容を確認する。
『正直、とても嫌な気持ちになりました。
怒りに任せて叩いてしまった自分に驚きました。ごめんなさい。
家に帰って言われたことを考えていたのですが、一度寝て朝になったら何だかとても納得しました。
私ばっかり我慢していると思っていましたが、ミツルさんがおっしゃったように、お互いに歩み寄って一緒に成長していけたらと思いました。』
ミツルは沸き上がってくる感情を抑えようとした。
冷静に、冷静に、と自分に言い聞かせて、感情と思考を腑分けしていく。
嫌な奴になるミッションは一応クリア。
自分の役割を果たすことができた。良い結果だ。
スマホをしまって目を閉じる。
心地良い電車の揺れに身を任せ、しばしの幸福感に浸った。
次の仕事も頑張れそうだとミツルは思った。
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