自分と向き合うのは難しい

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自分と向き合うのは難しい

レンタル事業が乱立する中、珍しいサービスを主軸に、多角的な展開で生き残っている『嫌な奴レンタル』。 そのWebサイトは、白と黄色が中心のデザインで、明快な機能と丁寧な説明を備えている。 今では見る影もないが、数ヵ月前までは黒を基調とした派手な色使いのデザインで、ストレス発散のためにスタッフを一発叩くことができるという売り文句が最も目立っていた。 レンタルサービスのページには『嫌な奴をレンタルして、安全にストレスを発散したり、身近な人の良いところを再発見したりしてみませんか』という宣伝文句が書かれ、リアルタイムでスタッフの空き状況を確認でき、サイト上で予約をすることができるようになっている。 スタッフごとに得意なことや実績が記載されていて、依頼したい内容を記入して日付を指定すれば簡単に予約できてしまう。 青々とした植物が生命力をみなぎらせている初夏、郊外のイベントホールで、若手俳優や人気アイドルの参加を目玉としたオンラインゲームイベントが開催されていた。 『嫌な奴レンタル』が別の事業名でサブMCの依頼を受けた仕事で、社長に指名されたミツルは、つつがなく自らの役目を果たした後、スマホを確認していた。 『嫌な奴レンタル』のサイトから自動メールが届いていて、ミツルは自分の来週のスケジュールが埋まったことを知った。 初めての客だ。 『仕事が忙しくなるので、来週の月~土曜日、19時から23時まで息子を見ていただけませんか。今、反抗期みたいで普通のシッターは利用しにくくて、こちらにお願いしようと思いました。』との客の依頼内容を読んだミツルは、子どもの相手なんてしたことないぞと不安を覚えた。しかも、普通のキッズシッターには頼みにくい事情のようだ。 もはや『嫌な奴レンタル』じゃなくて、『人間レンタル』じゃないかと疑問に思ったが、よほどの理由がなければ依頼を引き受けることにしているため、勤務管理システムを操作して、この依頼を受諾した。 イベントの仕事が完了した旨を勤務管理システムで報告し、スマホをポケットにしまって、帰りの電車に乗る。 すでに夜も更け、オンライン参加の客が多いイベントだったこともあって、電車は空いていた。ゆったりと座席に座って、暗い窓の外をぼんやり眺める。 疲れた様子の自分が窓に映っている。その中を、街灯や車のテールランプがびゅんびゅんと通り過ぎていった。 スマホの振動に驚き、取り出して確認する。さっきミツルが受諾した依頼内容を社長が確認したというシステムからの通知だった。 あの人、いつも仕事しているんじゃないか、朝でも夜でも対応している気がする、と社長の心配をしてみる。 確認処理のついでに書き込まれたチャットの文面を読む。 『珍しい依頼内容だね。明日の昼までに、シッターと家事代行関連の資料をまとめて送るよ。時間を見つけて目を通してくれ。もちろん研修費はちゃんと払うぞ! 何か困ったことがあったらすぐに連絡くれよな。よろしく!』 すぐに親指を上に向けた黄色いマークをつけて、確認したことを示す。 目を閉じて、電車の穏やかな揺れに身を任せ、今日の仕事をざっと振り返っていく。 できたこと、できなかったこと。メインMCの言動で見習いたいこと。演者や客の反応から感じたこと。 一つずつ思い浮かべて、脳内で言葉にしていく。瓶詰した記憶にラベルを貼るような感覚だ。 振り返り終えて思考を止めたミツルは、気持ち良く電車のシートに身を預けた。
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