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一、もう待てない
夕立である。
あたりが白くけむるほどの土砂降りのなかを走りに走って、哉と櫂はようやく、櫂の自宅の軒先にたどりついた。
「はあっ、ずぶ濡れだ」
「いま戸を開けます」
「ありがとう」
カッと空が光り、しばらくして雷鳴がとどろく。哉は身をすくめながら、櫂の留守中に預かっていた鍵で玄関の引戸を開けた。急いで櫂を中に引き入れる。
薄暗い玄関先で、二人は息を弾ませながら向かい合った。髪の毛の先から、顎から、雨粒が滴り落ちる。
「哉さん、やっぱり雨宿りしてくればよかっ――」
言いかけた櫂の口を、哉は唇でふさいだ。濡れた服ごときつく抱きしめる。ふた月ぶりに触れる櫂の身体は夏の雨に打たれて温かい。速い鼓動が伝わってきて、哉はもう自分を抑えきれない。櫂がどうにか唇を離してあえぐ。
「哉さん、ちょっと、待って」
「ひどい人だな。これ以上、待てっていうんですか」
「身体を拭かないと風邪をひいてしまうよ」
「それはいいな。二人で寝込めばずっと一緒にいられる」
哉は櫂の手を勢いよく引いて居間に入り、畳の上に彼を放り出した。縁側のガラス窓を、雨が滝のように伝っていく。暗い空にふたたび閃光がはしり、間を置かずに割れるような落雷の音が響いた。窓のガラスがビリビリと震える。
変化朝顔の育種家であり、園芸家でもある櫂の自宅は、大小無数の鉢植えで埋め尽くされている。緑と土の湿った匂いに満ちた屋内は、さながら植物園の熱帯温室のようだった。
気が急いているのもあって、濡れたシャツは脱ぎにくく、脱がせにくい。唇を重ねながら、櫂が身をよじるようにして自分の服を脱いだ。そして哉のシャツのボタンに手をかける。
哉は櫂の首筋に顔をうずめた。
「ああ、櫂さんの匂いだ」
「哉さんの匂いもする」
「おかえりなさい」
「ただいま」
「寂しかった」
「私もだよ。ふた月は、長かった。……っ、あっ」
櫂が身をひきつらせる。哉の唇が櫂の身体をたどりながら降りていき、張りつめたものを口に含んだのだった。反射的に閉じようとする櫂の太腿を押さえつける。
「……っ、哉さ……んっ」
「あちらにいる間、誰にも触らせなかった?」
「うん。あたりまえ、だよ」
「本当に?」
「信じてくれないの?」
「さて、どうかな」
冗談めかして言いながら、そっと櫂の後ろに指を当てる。離れていたふた月の時間を証すようにきつく閉じているのを、哉はゆっくりほぐしていった。
「時間がかかりそうだね、櫂さん」
思わず笑みを漏らした哉を、櫂が半身を起こして軽くにらむ。しかしすぐに目をきつく閉じてしまった。
「哉さん……、もう……っ」
白い喉をのけぞらせて身体を痙攣させる。そののち、大きくあえいで脱力した。うっとりと薄目を開けるのを見られていたことに気づいた櫂は赤くなって顔を背けた。
「そんなに見ないでほしい」
「櫂さん、かわいい」
「恥ずかしいよ」
「もっと顔が見たい」
ドイツ人の父と日本人の母の間に生まれた櫂は、あかるい鳶色の髪と目をしている。
「櫂さんの顔、大好きなんだよ」
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