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四、櫂の気持ち
花街の中心にある演芸場には華々しく幟が並んでいて、「満員御礼」の札も誇らしげだ。
演芸場内は人の熱気に満ちている。観客の誰もが扇子や団扇であおいでいるさまは無数の蝶か鳥がさかんに羽ばたいているようで、一層にぎやかに見えた。
哉と櫂は客席の入り口で別行動になった。
「俺は楽屋のほうにいますから。終わったら来てくださいね。場所はわかりますか」
「うん。さすがにわかるよ。心配しないで」
「じゃあ、あとでまた」
人込みのなかで哉が櫂の手をとらえる。
指が絡んできた。
口づけでもされるのかと思ってドキリとした。しかし指はあっというまに離れて、哉は楽屋へ消えていった。
櫂は客席の片隅に腰を下ろし、大きなため息をつく。
――哉さんのことがどんどん好きになっている。
これまでは哉のほうからぐいぐい押してくることが多かったから、くるまれるように愛されて幸せだと思ってばかりだった。しかしふた月を離れて過ごしたのちは、はっきりと哉が愛おしいのだった。
――それに哉さんに出会ってからは、毎日がとても充実している。
大学の研究室での仕事はやりがいがあった。父母を亡くして生計のために続けてきた朝顔の育種だったが、その経験が生かせるのが嬉しい。
あまり人と交わらず、朝顔たちと淡々と向き合う生活は嫌いではなかった。ときに辛いことや意に沿わないことがあっても、櫂が少し我慢すればうまく収まった。求められれば差し出す。受け入れがたいことも受け入れる。欲しいものも望みも、とりたてて、ない。それが自分の生きかただと思ってきた。今までは。
――でも今は違う。哉さんと一緒にいたいし、彼を幸せにしたい。朝顔の研究もしたい。もっと知見を深めて研究室の皆の役に立ちたい。
自分の中に立ち現れた願望に、櫂は戸惑う。
――哉さんと一緒にいることはできても、幸せにできるのだろうか。
彼のために何ができるか。その答えがまだ出ない。どんなに思い合っていても、きっといつか終わりが来る。
――そのとき、私はどんな顔をすればいいのかな。
ふわふわと舞い上がった気持ちがゆっくりと沈みかけたところで、割れるような拍手と歓声に包まれて我に返る。舞台に若い噺家が出てきて深々と頭を下げたところだった。もとより格式も何もない、学生主催のくだけた演芸会である。落語なのか、ただの面白いおしゃべりなのか、区別もつかないような芸ではある。しかし観客はやんやの喝采と大笑いだ。櫂もつられて笑った。
その後は数人の噺家と講談の披露が続き、舞台は芸者衆の舞踊と長唄三味線に移った。
平本が自慢げに言っていたとおり、芸者衆はそろって薄化粧の美人ばかりだった。ひるがえる袖や裾から、扇子の先から、こぼれるような艶っぽさが伝わってきて櫂を小さく打ちのめす。
――私もいっそ女だったらよかったのかなあ。
くよくよと考えてしまって、自分に小さく嫌気がさした。こんなこと、口にしたら哉が怒りそうだ。あわてて頭を振って、いじけた気持ちを打ち消した。
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